中日のドラフト4位・石伊雄太 人生を変えた高専3年夏の両親からの言葉「野球を続けて」親孝行はプロの世界で
◇新時代の旗手2025~ドラフト4位・石伊雄太 「せっかくだったら大学で野球を続けた方がいいんじゃないか?」 三重・近大高専3年の夏。人生の岐路に立った石伊は野球を辞める決意を固めかけていた。高専では最高学年となった2年秋からレギュラーとなったが、3年夏は2回戦敗退。目立った実績を残せたわけではなく、大学からの誘いは系列の近大工学部からのみだった。 高専は5年制。本格的な野球を続けるには就職率の高い高専を離れなければならない。「もう、野球は高校で終わっていいかな」。そう伝えた時に父・保文さん(54)から冒頭の言葉をかけられた。 高校までの進路はいつも自分で決めてきた。「やりたいことを、できるだけやらせてあげたい」という家庭の方針の下、小学3年で、小さい頃から親しんだ野球を本格的に始めた。中学は練習に車で片道1時間半かかるものの、仲のいい先輩がいた伊勢ボーイズに入団。中学3年当時は身長160センチ前後とチームの中でも低い方で、野球での推薦の話はなかった。「将来、就職する時に有利になるから」と近大高専に入学。寮に入って野球に打ち込んだ。 「高校でプレーしていても上にいける気はしなかったし、どちらかといえば早く親孝行をしたかった」。3人きょうだいの末っ子で長男。実家のことも気になる。野球はここまで。残りの高専生活は学業に専念する。高校最後の夏に自分の率直な思いを打ち明けたが、両親の考えは違った。「大学から誘いがあるのにもったいない。野球を続けてほしい」。自分の進路希望に初めて反対された。 思わぬ言葉に驚きはしたが、その瞬間に「よし、やれるところまで野球をやってやろう!」と覚悟は決まった。進学した近大工学部では1年春からスタメン起用されると、3年秋にはMVPを獲得。プロ注目選手としてメディアに取り上げられるようになった。4年時のドラフト会議で指名漏れを経験したが、一度ついた野球への熱は消えることなく、日本生命に入社して2年目での指名につなげた。 「あの言葉がなければ野球を続けていなかった」と感謝する両親の勧め。プロの世界で活躍し、親孝行を果たしていく。
中日スポーツ