被災地の「怪談」に宿る温かさと喪失感 東北ならでは死者との向き合い方 #知り続ける
70代の檀家の女性は夫と家を津波で流され、学校に設けられた避難所を仮の住まいとした。しばらくすると、ふとした瞬間に、耳になじんだ声が聞こえるようになる。「そばにいるよ」。夫の声は決まってそうつぶやいた。避難所の校庭に積まれた瓦礫の中から夫の亡き骸が見つかったのは2011年秋のこと。女性は八巻さんに「もっと早く見つけてあげたかった」と悲しみと大切な人が見つかった安堵が入り交じる複雑な思いを漏らした。 また震災から4年が過ぎたある日、70代の男性が保福寺を訪ねてきた。行方不明の母親が夢枕に立ったという。母は何も口にせず、にっこりと満面の笑みを浮かべていた。翌日、男性の元に、母の遺体が発見されたと連絡が入った。八巻さんは語る。 「タクシーが幽霊を乗せた、海から列をなした人が浜のほうに歩いてきた……。震災直後から、そんな話は本当によく耳にしました」
怪談の主役は“身内”
被災地では震災直後から怪談や不思議な話が語られてきた。 宮城県気仙沼市在住の怪談作家・小田イ輔さんは、震災の前から地元に根づいた怪談を蒐集(しゅうしゅう)してきた。彼は、被災地の怪談の特徴を「幽霊の顔が見えること」と説明する。 「Xという集落におじいさんの霊が出るというウワサが広まったとします。しかし、地元の人は『Xのおじいさんなら、津波で流されたAさんだ。Aさんは祟るような人じゃない。きっと寂しいんだろう』と生前を偲(しの)ぶような受け止め方をする。気仙沼は人口6万の港町です。気仙沼に暮らす人の家族や友人が犠牲になった。気仙沼の人にとって、犠牲者は“身内”なんです」
冒頭の八巻さんが感じた視線や気配は、犠牲になった檀家の誰かだろうと推測された。遺族に声をかけ、夢枕に立ったのは、亡くなった夫や母だった。それらもまた“身内”だった。 そのせいか、怪談といえば呪いや祟りなどおどろおどろしい印象があるが、被災地ではその手の話はあまり耳にしない。 震災から数カ月後、小田さん自身も“身内”の話を耳にする。工事現場近くで子どもの幽霊がためらいがちに追ってきた──。建設作業員から小田さんはそんな話を聞き、言葉を失った。 「目撃した場所や背格好から、私も知っている子ではないかと感じたんです。その子の死を悼んで毎日、遺影に手を合わせて話しかける両親の姿を知っていましたから」 怪談を収録した書籍を多数書いてきた小田さんだが、70本以上集めた被災地の怪談については、ほとんど書けなかった。書籍などで発表できたのはわずか7本。小田さんは「身内を書くことにためらいがあった」と明かす。