被災地の「怪談」に宿る温かさと喪失感 東北ならでは死者との向き合い方 #知り続ける
震災直後、小田さんは宮城県岩沼市で被災した知人の男性からこんな話を聞かされた。震災から数日後、知人は行方不明だった娘の遺体と対面した。沿岸部では火葬場も被災し、土葬せざるをえない。男性は娘の遺体を自動車に乗せると隣の山形を目指した。山形なら娘を荼毘(だび)に付せるのでは、と考えたのである。男性は被災した上、連日の捜索で疲れ果てながら、残雪の峠道を急いだ。ふと気づくと声がする。後部座席に横たわる娘の声だった。「お父さん、気をつけて……」。娘の声に相づちを打ちながら、無事に山形に到着した。男性は「娘が声をかけてくれなければ、事故を起こしていたかもしれない」と語った。 小田さんは複雑な心境を吐露する。 「私は、父と娘の思いやりを感じて胸が詰まりました。ただ、そう受け止める人ばかりではないでしょう。現実的に考えれば、ご遺体が話すわけがない。もしも『ただの妄想だ』という声が男性に届いたら、父と娘の大切な思い出が汚されてしまう。そう考えると書けなかったんです」
大切な人に会いたいという思い
なぜ、3.11の被災地で怪談が語られたのか。山形市に暮らし、東北をフィールドに活動する怪談作家の黒木あるじさんがヒントを示す。 「3.11では広い地域が瓦礫の荒野と化した。行方不明者も多かった。弔うべき遺体も、墓地も、寺も、ふるさとそのものが流された。残された人たちはとてつもない喪失感を味わった。どんな形だとしても、もう一度大切な人に会いたいと思う背景には、喪失感がある。そんな心情が死者と邂逅(かいこう)する物語を生み出したのではないか」
黒木さんが被災地の不思議な話に初めて触れたのは、震災から10日後の2011年3月21日。岩手県宮古市で被災した遠縁の高齢女性が電話をかけてきて、「私、お父さんに助けられたのよ」と切り出した。 震災の日、買い物の準備をしていた彼女は「おーい」と呼ぶ声を聞く。声がした竹林を見ると、ずいぶん前に亡くなった夫と背格好が似た男性が立っていた。その姿を追う途中、大きな揺れに襲われる。腰を抜かし、竹にしがみついていると自宅の1階部分を津波がさらっていった。 この話を聞いた黒木さんは「これから、先に逝った人と残された人が再会する物語がたくさん語られるはずだ」と直感する。 以来、被災地に通い続け、200話以上の怪談を記録した。いま黒木さんは「震災の怪談に耳を傾けることは、被災地の変遷や、被災者の心の変容をたどる行為だったのかもしれない」と考えている。