日常的な疲れだと思っていた… 急性肝不全で余命90日と宣告された2児の母の物語
診断から1ヶ月半後の2019年10月2日、ドナーが見つかったという電話を受けた
病院へ向かう車の中で、私はずっと泣いていた。興奮していたからじゃない。私の命を救うために自分の命を落とした人のことを想うと、涙が止まらなかった。 私の手術は翌朝7時に始まったけれど、私が目を覚ましたのはその翌日の午後4時だった。手術中にできた血栓が肺に入って肺塞栓が生じ、その血栓が心臓と脳に移動して、手術中に4度の脳卒中を引き起こしたという。外科医は手術を中断し、私を放射線科に連れて行き、さらなる血栓の発生を防ぐために下大静脈(IVC)フィルターと呼ばれる小さな金属製の器具を私の体内に留置した。肝臓移植が完了するまでの24時間、私は鎮静状態に置かれていた。
その翌年はアップダウンが激しかった
移植後の1年目は臓器拒絶反応のリスクが最も高いので、私の新しい肝臓が生き延びてくれたのは本当に幸いなこと。主治医からは、「肝臓移植からこれほど早く回復した患者はいない。これはピラティスや体を動かすことに対するコミットメントの賜物だ」という手紙をもらった。 あれから5年経った今日の私は、これまでになく元気。ピラティスを続けているだけでなく、週4~5回のランニングも開始した。お酒は飲まないし、グレープフルーツやザクロは、体が新しい肝臓を拒絶してしまうのを防ぐために服用している薬と相性が悪いので食べられない。でも、それ以外では、フルーツ、野菜、ナッツ、シード、脂肪の少ないタンパク質が豊富なバランスの良い食生活を続けている。月に1度は肝酵素のモニタリングをするために採血を受けているけれど、私はいま健康で素晴らしい人生を送っていると言えることがとてもうれしい。 こんな経験はもう二度としたくない。恐怖と悲しみと未知のことで溢れていたから。でも、この経験は私を良いほうに変えてくれた。恐れずに毎日を全力で生きることを教えてくれた。不安なことばかりに目を向けるのではなく、ジェイソンの遺産を生かし続けるために勇敢に生きることが私の使命。肝臓移植は図らずも私のストーリーの一部になった。人生では何が起こるか分からない。だからこそ、私は1日1日を勇敢に生きていく。