齋藤元彦再選で「有権者は愚か者ばかり」と言いたがる「知識人」が続出する理由…彼らが溺れる、もう一つの「ネットde真実」
それとこれとは別
「内部告発文書」「百条委員会」そして「全会一致の不信任」という一連の流れは、そもそも発端となった文書自体の信頼性が乏しかったうえに、ファクトの精査も行われないまま進められたものであり、手続き的に公正とは言い難いものだった。 齋藤元彦という人物は、やはり兵庫県政関係者に聞くかぎりでは、気が短くてやや高圧的と評されているし、人間的・人格的にすばらしいとは言い難い面もあったのが事実だろう。しかしながら、それをもって彼に向けられた根拠の乏しい告発を十分に精査しないことや、メディアのセンセーショナルな報道のままに大仰な諮問会を開くこと、ましてや全会一致で失職させることが正当化できるわけではない。それとこれとは別だ。兵庫県民も多くはそう思っていた。 まして今回、地元メディアだけでなくキー局や全国紙に至るまで、ほぼすべてのマスコミが選挙直前まで齋藤氏を糾弾する側にまわり、中立的な立場を守る媒体でさえ皆無といってよかった。それでも兵庫県民は齋藤氏を選んだのだから、県民はメディアに踊らされたどころか、事態の本質をよく見抜いていたのではないだろうか。 稲村氏は敗北宣言のなかで「争点というか、そもそもなにと争っているのかわからなくなった」と回想しているが、それも当然だろう。最初から「争うべきところ」など存在していなかったからだ。誰々が陰謀を企てたとか、誰々が悪事を働いたとか、もとよりそういう話はどこにもなかったのだから。 稲村氏は選挙期間中のほとんどを齋藤氏の非難に費やしていたようだが、ほかでもない自身こそが今回の知事選の「争点のなさ」を実感していたからこそ、そうした演説をするしかなかったのではないだろうか。今回の選挙戦の争点が「齋藤氏の為政者としての実績や能力をどう評価するか?」から最後まで動かなかった時点で、稲村氏の敗北はほとんど決まっていた。 「とにかく齋藤をやっつけたい」という、一部の人びとの願望のもとで見切り発車した選挙だったからこそ、色々と無理が生じた。稲村氏はそうした人たちにとって都合のよい神輿だったにすぎず、具体的な政策や公約を掲げることもできないまま、県政の内外でいまだ燻る「井戸元知事の遺恨」にただただ引きずられざるを得なかったのだ。
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