「欲しがるものは全て与え、焦らず待つ」HSCと診断された不登校の娘が学校に行くまでを支えた親の信念
「朝顔の種まきに行く?」リコちゃんの変化
なかなか学校に行けないリコちゃんを前に、マキさんの夫はこう切り出した。 「やっぱり日本を出ようか」 マキさんの夫は外国人。リコちゃんの下には妹がいる。不登校になる前から夫の母国に渡る話は何回も出ていた。 「夫は定住するつもりで日本に来たのですが、リコがこのまま学校に通えないかもしれないって思ったとき、環境変えるっていうことを二人で考えました。夫の国の教育環境はとても柔軟で、学校を途中で替えることもできるし、集団指導ではなく小グループの指導に切り替わっていて。大学まで通わせる教育費も日本よりも断然安い。子どもだから言葉もすぐ覚えるよねって……」 しかし、肝心のリコちゃんが日本から出ることを嫌がった。そもそも未知の環境が苦手なのだ。大きな選択肢が消えた。 6月に入ったところで、マキさんはふと学校の校舎わきに並んでいた朝顔の鉢を思い出した。担任の先生から種植えを勧められていた。リコちゃんに「朝顔の種、蒔(ま)きに行ってみよう」と話しかけた。拒絶されればアッサリあきらめるつもりだったが、意外にも娘はこっくりうなずいた。小さな手を引いて一緒に学校へ行った。鉢に土を入れ、黒い種を土に埋めた。 その日は朝顔の種植えだけして帰宅した。翌日「水あげに行く?」と尋ねると、これもうなずいた。その後「今日はお昼だけ食べに行ってみようか」となった。保健室で、6年生の男子児童と一緒に食べたと聞いた。その子とおしゃべりをしながら食べるわけでもなかったようだが、保健室登校ができるようになったのは大きな進歩だった。
「学校を休みたい」は大事な自己主張
給食だけ、カウンセリングだけ。それらを繰り返していくうちに「授業をひとつだけ出てみようか?」というマキさんの提案にリコちゃんはうなずいた。母がそばにいれば安心するのか、授業1つが2つになり、そのうち午前中のすべて4時間目まで受ける日も出てきた。少しずつ、慎重に増やした。 「今度はひとりで行ってみようか?」 学校に連れては行くものの、教室の前、学校の靴箱の前、校門の前と、少しずつ手を放すタイミングを早めた。もちろん「今日は行かない」と休む日もあった。マキさんは「いいよ、いいよ。休んでいいよ」と言って休ませた。 ついには6月末にはひとりで登校できるようになった。2か月あまりで不登校生活は幕を閉じた。学校に行けるようになったのはマキさん自身が思考転換できたからだろう。池添さんのこれらの言葉を胸に入れて過ごした。 ――家ではガミガミ言わんといてな。家が落ち着かへん場所になってしまう。家では好きにさせてあげて―― マキさんは「ガミガミ言ってはいけない理由が明確にわかったし、それを実感できたのは大きかった。学校を休みたいと自己主張できるのは、子どもが家庭でリラックスできている証拠だなと思いました」と振り返る。福祉広場(通称ひろば)は毎日行ける放課後デイサービスと違って週に1回。「それも子どもの負担を考えてのことだと聞きました。ひろば以外の日は家でのんびり過ごせるのが理想なんでしょう」(マキさん)