「5000万人避難まで想定した最悪の事態」菅直人元首相が振り返る3.11 #あれから私は
脱原発をもっと推進したかった
菅氏は2011年8月に、再生可能エネルギー特別措置法を成立させた。これは太陽光、風力、水力、バイオマスなどによって発電した電気を全量固定価格で一定期間、電力会社が買い取ることを義務づけたものだ。このように脱原発へと大きく舵を切ったうえで、同年9月2日に総理の座を辞任した。
──脱原発に向けて急速に動きました。 「私も震災前までは、原発の輸出を政策の柱にするなど原発には前向きでした。でも、あの事故を経験して、原発は安全ではないことがわかった。簡単に言えば、原発はなくすべきだと確信しました。ドイツの動きは早く、日本の状況を見て、2011年6月には『2022年原発ゼロ』を閣議決定しました。私がもう少し長く総理の座にあれば、もっとはっきりと原発ゼロへの道筋をつけられたと思います」 ──震災から半年で辞任に追い込まれましたが、もっとやりたいことがあったわけですね。 「はい、それはやはりエネルギーです。最近の例では、農地の上に太陽光パネルを設置するソーラーシェアリングを推したい。農業収入に加えて発電収入も得られれば、農家も収入が安定するし、電力も確保できる。農地400万ヘクタールで実施すれば、いまの日本の2倍の電力量を得ることができるという試算もあります。先に『創造的復興』という言葉を掲げましたが、私としては、こういう新しい技術や産業が、被災した地域で興隆すれば、復興も前進するんじゃないかと思うんです」
──昨年来、新型コロナウイルスの感染拡大が続いていますが、これも一つの大きな危機という見方もできます。菅義偉首相のコロナ対策についてはどう評価されていますか。 「コロナと原発では性格は違いますが、危機管理という点では共通するものがあります。では、どうすべきか。コロナに関して言えば、総理大臣の仕事は、複数の信頼できる感染症の専門家から話をしっかり聞き、最悪の場合を想定し、それに至らないために行政的に何をすべきかを判断することです」 「そもそも菅首相は『自助・共助・公助』を首相就任時に掲げていましたが、コロナは自助努力だけで防止できるのでしょうか? それができないから公助が頑張り、共助や自助をやりやすくさせるという順序じゃないでしょうか。そういう社会のあり方を提示できていないのは、私としては残念です」