「5000万人避難まで想定した最悪の事態」菅直人元首相が振り返る3.11 #あれから私は
──このころに「最悪の事態」も想定されていました。 「事故から2週間後の3月25日に、原子力委員会の近藤駿介委員長に出してもらった『不測事態シナリオの素描』という文書があります。それによると、1号機から4号機の核燃料の放射性物質が放出されると、『強制移転や任意の避難区域は東京都まで含む半径250キロに及び、5000万人の避難が必要となる』というものでした」 「じつを言えば、私自身は早い段階から『日本沈没』(小松左京原作)も連想していました。『日本沈没』は日本人全員が海外へ逃げねばならない話です。近藤委員長の不測事態シナリオはそれに近いものでした。そんなことになったらどうなるか……。とても口には出せない話でした」
完全な復興は100年以上かかるのでは
──震災後、福島第一原発では廃炉作業が進められています。どう見ていますか。 「事故後、毎年1回は現地を視察しています。大きく変わったのは構内の風景です。広い敷地のほとんどが汚染水のタンクで埋まってしまった。一方、原発建屋は、外見は工事用の設備を除けばさほど大きな違いはありませんが、中身は様変わりしています。1号機から3号機は世界で初めてメルトダウンを通り越して、メルトスルーを起こしました。いま格納容器の底部には燃料デブリが堆積していますが、きわめて高線量で人が近寄ることができない状況です」
──2011年12月に東電が示した廃炉の中長期ロードマップでは、廃炉措置終了を30~40年後と設定しました。実現可能でしょうか。 「原子炉格納容器の内部にある燃料デブリを取り出すのも大変ですが、それを廃棄する場所だって簡単に決まらないでしょう。さらにそこから更地に戻して他の用途に使うとなると、数十年、いや100年以上を要するのではないかと思います」 ──当初、どれくらいの時間や人手が必要だと考えましたか。 「私は原発の専門家ではないので、最初の時点ではそれは判断できませんでした。ただ、その後、私は(1986年に事故を起こした)チェルノブイリ原発も何度か視察してきました。あそこは『石棺』と呼ばれるコンクリートで囲い込む対策をし、さらに2016年には鋼鉄製のシェルターで覆いました。それで100年間は放射性物質が外に出ないように見守るというのが現在の方針のようです。つまり、チェルノブイリという先行事例でもそんな状況なのです。福島第一原発でも同じくらいの時間がかかることは覚悟しなければなりません」