「5000万人避難まで想定した最悪の事態」菅直人元首相が振り返る3.11 #あれから私は
東京を含む半径250キロ避難というシナリオ
福島第一原発では12日の1号機建屋の水素爆発に続き、13日には3号機がメルトダウン、14日には同じ3号機建屋で水素爆発が起きた。同日の23時には、2号機が危機にあった。格納容器の圧力が異常に上昇し、冷却水も入らない。「最悪の事態」を想定せざるを得なかった。 ──15日朝5時30分ごろ、東京電力本店に乗り込みます。 「この日の午前3時ごろ、首相官邸に経産大臣や官房長官が来ました。『東電が原発事故現場からの撤退を申し入れています。どうしますか』という話でした。清水正孝社長が経産大臣に何度も電話をかけてきて、そう言っていると。驚きました。そんなことは絶対にできません。もし東電が撤退し、原発を放置したら、避難地域も拡大し、日本は壊滅してしまいます」 「とにかく、官邸に清水社長を呼んでくれと言うと、すぐにやってきました。その際、社長の話を聞く前に『撤退はありません』と告げました。すると、社長はあっさり『はい、分かりました』と受け入れました。拍子抜けしましたが、(これまで情報がなかなか来ない問題もあり)このままでは立ち行かない。政府と東電との統合対策本部をつくり、細野豪志首相補佐官を常駐させると言いました。それで朝5時30分に東電に行き、統合対策本部を設置しますという話をしたのです」 ──東電本店に首相が乗り込んだこと、ヘリで福島に行ったことなど、菅さんの行動には批判もありました。 「批判があったことは承知しています。しかし、あの時、私はどちらも行ってよかったと思っています。なぜなら、東電本店から的確な報告が来ていなかったからです。ベントをしなければ格納容器が爆発すると言いながら、なぜ遅れているかの説明がない。2号機、3号機などの状況も分からない。伝言の過程で重要なことが抜け落ちてしまっている可能性だってある。それなら短時間でも現地に行き、この目と耳で責任者から話を聞くほうが、いい判断ができる。そう考えて行動したことは間違いではなかったと思います」