韓国「本当の」戒厳令を経験した日本人留学生の回想、軍人によって抑圧された社会のリアル
2024年12月3日深夜、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が布告した「非常戒厳」(戒厳令)。国会により解除を要求され、布告からわずか6時間ほどで解除された。 戒厳令とは、行政や司法を軍が掌握し、国民の言論や集会の自由など基本的人権を制限することだ。基本的人権を制限してまで、国家の存続を脅かすような危機を防ぐというのがその名分でもある。 今回の戒厳令布告は、韓国において1980年前後に朴正熙(パク・チョンヒ、1917~1979年)、全斗煥(チョン・ドゥファン、1931~2021年)の2人の軍事政権が戒厳を布告して以降、初のことだった。しかし、韓国では1980年前後より前にも戒厳令が布告され、軍事政権、権威主義的な政治が続いていた。戒厳令以外にも、朴正熙は「緊急措置」という手段も使って治安の安定と自分の権力固めに利用している。 【この記事の他の画像を見る】
では、こういった戒厳令や緊急措置が出されていた時代の生活はどのようなものだったのか。朝鮮近・現代経済史が専門で、山梨学院大学元教授の宮塚利雄氏は、そのような時代の韓国へ留学し緊急措置や戒厳令の時代を肌で感じた日本人留学生の1人だった。 ■尹錫悦の戒厳令「まったくお粗末」 ――宮塚先生が韓国に滞在されたのはいつごろになりますか。 1973年5月から1981年5月まで。韓国の農村経済・文化などを研究するために渡韓しました。朴正熙の時代であり、政治がとても荒れていた時期でした。閉塞感がいっぱいの時代でした。
――朴正熙が戒厳令や緊急措置を相次いで出し、そして全斗煥がいわゆる「12・12粛軍クーデター」で軍の実権を握り、政治の表舞台に出てきたころにわたりますね。当時の状況を比べると、今回、尹錫悦による戒厳令騒ぎはどうご覧になりましたか。 まったくお話にならないほどお粗末なものでしたね。尹錫悦が出した戒厳令は、結局は国会が反対するから、自分の妻に対する政治的攻撃がひどいからといったような理由からでしょう。単純な理由で戒厳令を使うとは。準備も足りないし、戒厳令の主役となる軍の出動も少なかった。説得力のない戒厳令であることはすぐにわかりました。