韓国「本当の」戒厳令を経験した日本人留学生の回想、軍人によって抑圧された社会のリアル
――当時、外国人として戒厳令が敷かれている理由をはっきりと認識していましたか。 今回の尹錫悦の布告内容でも申し訳程度にありますが、当時は北朝鮮の存在が今よりもはるかに大きかった。韓国は経済成長を続けていましたが、それでもまだ北朝鮮の国力は相対的に強かった。南北の対立が生み出す緊張感は大きかったのです。 とくに私が韓国に滞在していたときは北朝鮮も絡み、そして日本も絡む大事件が3つ、連続して発生した時期でした。それは、1973年8月の金大中(キム・デジュン)事件と1974年4月の民青学連事件、そして同年8月の文世光(ムン・セグァン)事件でした。
・金大中事件=「金大中拉致事件」ともいう。1973年8月8日、当時野党の有力政治家で、1971年の大統領選挙で朴正熙にとって最大のライバルだった金大中元大統領が、東京のホテルで韓国の情報機関・韓国中央情報部(KCIA)の要員に拉致され殺害寸前までいった事件。日本国内で韓国の情報員が堂々と拉致という犯罪を犯したことで日韓関係が極度に緊張した。 ・民青学連事件=ソウル大学をはじめとする国内大学で「全国民主青年学生総連盟」(民青学連)名義で政治的な内容の印刷物が捲かれた。これを当時の朴正煕政権が「共産主義者の老農政権樹立を企図した」とし、緊急措置4号を布告。尹潽善(ユン・ボソン、1897~1990年)元大統領や知識人、学生などを連行、起訴した。この事件を取材していた日本人ジャーナリストと通訳をしていた日本人留学生も内乱扇動罪で起訴、懲役20年が処され、日本でも韓国の政治状況に関心が高まった。
・文世光事件=在日コリアン2世の文がソウルで開催された「光復節」(日本の植民地支配から解放された日の8月15日)記念式典で演説中だった朴正熙を狙撃した事件。文が発射した銃弾は、壇上にいた朴正熙の妻・陸英修(ユク・ヨンス)氏に当たり陸は死亡した。文が朝鮮総聯側の在日コリアンだとされ、北朝鮮の関与を政権側が疑った。また、文が所持していた拳銃は、大阪市内の派出所で盗まれたものだったこともあり日韓関係で大きな問題となった。