「みんなで勝つ」みかん農家の経営戦略 産地の枠を超える活動で売り上げを5倍に
アパレル経験を生かして販路拡大
父や農協の技術指導専門員からみかん栽培のノウハウを学びながら、二宮さんは畑の拡大に注力します。知人に頼んで周辺の耕作放棄地を借り、約5年かけて、0.8ヘクタールほどだった畑を3倍の2.5ヘクタールに広げました。 就農6カ月後に「ニノファーム」を立ち上げた二宮さんは、アパレル会社で培った企画から製造、販売まで手がける手法を、みかん農家としても生かしました。 当時、東京でデザイナーをしていた姉の協力で自社サイトを構築。個人宅へのみかんの配送を始めました。祖父や父は全量をJAに納めていたため、大きな改革です。「アパレル時代は、考えて作って売ることをずっとやっていたので、みかんも自分で作る品種も決めて売りたかった」 都会の人の目を引くカタログや箱のデザインも、姉がほとんど無償で請け負ってくれました。二宮さんは農家然としたロゴより、アパレルのようなポップさを求めたそうです。少しずつリピーターも増え、口コミで新規顧客へと広がっていきました。 「都会の人に愛媛みかんを知ってもらい、価値を感じてほしかった。京都の友人のほか、東京と静岡に住んでいた姉たちの知人も紹介してもらいました」 宇和島でも顧客に直接販売するみかん農家は増えています。それでもニノファームのように、半数を個人客向けに販売しているケースはほとんどないといいます。 農家が販売まで手がける場合、大きな壁となるのは顧客との電話やメールでのやり取り、商品の値付けや配送などの作業です。二宮さんがそれらを一人でこなせるのは、アパレル会社で培った経験のおかげです。 「ブランドのファンになってもらえるよう、受注時の対応を丁寧にしたり、毎年デザインを変えたカタログを配ったりするところが、アパレルとの共通点かなと思います」
農家仲間から教わった経営
二宮さんは、一足先に農業を始めた地元の同級生や後輩に経営を教わりました。「彼らの話は刺激的で励みになりました」 ニノファームでみかん販売だけでなく、みかんジュースを扱うようになったのも、同世代の農業仲間のアイデアです。 就農した15年ほど前は、現在ほどみかんの相場も安定していませんでした。不安定な農業にあえて飛び込んだ仲間たちは「人と同じことをやっては食べていけない」という気概に満ち、自分なりの経営方針を持っていました。 「この品種は将来性があるから植えた方が良い」、「こういう売り方でやると値段が上がる」という仲間たちのアドバイスは大きかったといいます。