「望月の歌」も実資の記録がなければ忘れ去られていた?『光る君へ』では描かれなかった<道長だけが知るあの夜の秘密>とは
◆三后独占の行く末も安定したものではなかったが しかしその一方で、道長は九月に目の病の薬らしい「紅雪」という薬を服用しており、この後も目がよく見えないことを記しています。 天文学者の説では、寛仁二年十月十六日はじつは満月で、望月と言ってもおかしくないとのことですが、道長には「たとえ自分の目には月がぼんやりとしか見えなくても、この望月は欠けない」という思いがあったのでしょう。 とはいえ現実には、皇子を産んだのは彰子太皇太后だけ、そして彰子と妍子皇太后はすでに夫を失っていて、新しい皇子を産む可能性があるのは威子だけでした。 望月のごとき三后独占の行く末も必ずしも安定したものではなかったのです。 しかし冷徹な道長は、「望月」のその未来まですでに計算に入れていたのかもしれません。この日に集まった次世代、嬉子と禎子はのちに後朱雀天皇の后になるのですから。 そして後朱雀と禎子の子孫から天皇家はずっと続いていくのです。摂関の栄光が遠い昔のことになった現代までも。
榎村寛之
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