「望月の歌」も実資の記録がなければ忘れ去られていた?『光る君へ』では描かれなかった<道長だけが知るあの夜の秘密>とは
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は『女たちの平安後期』を著書に持つ日本史学者の榎村寛之さんに「『望月の歌』のさらなる裏側」について解説いただきました。 「望月の歌」を詠む道長の目に月は見えていなかった?原因は『光る君へ』で毎回描かれる<あのシーン>に…平安時代ならではの病について * * * * * * * ◆「望月の歌」のさらなる裏側 クライマックスを迎えつつある大河ドラマ『光る君へ』。 ついにかの有名な藤原道長の歌「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」が出てきました。 この歌は藤原道長と源倫子の三女、威子が後一条天皇の中宮になった時の宴で詠まれたものです。 以前はもっぱら、「最高権力者となった道長が絶頂感を語った」と解釈されたこの歌ですが、ドラマの道長からは権力に酔う様子はあまり見られず、むしろほっとしたような雰囲気もあるなど、ずいぶんイメージと違うな、と感じた方も多いと思います。 前回のドラマ冒頭でも「一条朝の四納言」藤原斉信、藤原公任、藤原行成、源俊賢が揃い、道長が「望月の歌」に込めていたものとはいったいなんだったのか、その解釈について意見を交わす場面が描かれました。 そこで今回は、このドラマのもとになった道長の日記『御堂関白記』と藤原実資の『小右記』の前後の記事からの拾い読みで、この歌の裏側を探ってみたいと思います。
◆一同が詠じたことが大事 まず、確かにこの歌はとても有名ですが、実際に記されているのは藤原実資の日記『小右記』のみで、道長は『御堂関白記』には記されていません。そして『小右記』と『御堂関白記』では書かれている背景がずいぶん違うのです。 『小右記』の寛仁二年(1018)十月十六日(十五夜ではなくて十六夜、でも望月=満月と言っている)条ですが、実資は巳二刻(午前十時ごろ)内裏に入りました。 天皇から、中宮妍子を皇太后に、そして女御威子を中宮にする宣命をつくる命令が右大臣公季に下されます(左大臣顕光遅刻のため)。 それが整えられると内裏の門が開かれ、大臣以下の公卿が参列して宣命が下されると、次に中宮職(中宮のために置かれた役所)の官人の除目が行われました。 儀式が終わると左大臣以下の公卿は新宮の上東門院(道長の邸宅、土御門第の別名)に移ります。その流れで宴会になり、たけなわの時に道長は実資に戯れに摂政(頼通)に盃を勧めるように言い、その後で問題の詠歌の場面になります。 返歌を求められた実資が、その場の貴族全員の詠唱でごまかしたのはドラマの通りです。 一方『御堂関白記』を見ると、道長は宣命の儀までは宮中におり、中宮職の除目の前に退出して、自宅で宴を準備させていました。そこでは「ここで余、和歌を読む、人々これを詠す。」と記しています。 さらっとですが、歌を詠んだ、みんなが合わせたとちゃんと書いているのです。歌の内容よりも、一同が詠じたことが大事なのですね。
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