「望月の歌」も実資の記録がなければ忘れ去られていた?『光る君へ』では描かれなかった<道長だけが知るあの夜の秘密>とは
◆宴会の主役は道長ではなく… ところで『御堂関白記』を見ていると面白い言葉が出てきます。それは「御倚子」です。 倚子とは要するにイスのことで、土御門第の寝殿(屋敷の主人が暮らす正殿)に置かれていたようです。 この倚子に誰が座ったのかは明記されていないのですが、少し後には、この倚子が片づけられた後が「昼御座(ひるのおまし)」になったとしています。 昼御座とは本来は宮中の清涼殿に設けられた、天皇が日中にいる座のことです。しかしこの時は、後一条天皇は母の太皇太后となった彰子とともに内裏にいるのです。 とすれば御倚子に座れるのはただ一人、新中宮の威子以外にはありえません。この宴会の主役は道長ではなく、威子なのですから。 威子は寝殿の中央に置かれたイスに座って(おそらくカーテンなどで囲われた中から)、貴族たちの宴会を見下ろしていたのでしょう。 つまりこの宴会は(当たり前のことですが)、新中宮威子のお披露目であり、この時道長は、土御門第の正殿を娘に明け渡していたのです。
◆ドラマには見られない大きな特徴 さらに『御堂関白記』を見ると、ドラマには見られない大きな特徴がありました。「女方皆理髪」、つまりこの場にいた女性たちがみな髪を結って上げているのです。 また当日は明け方に、御乳母の「修理」や「宰相」などの典侍、つまり天皇側近のナンバーワン級の高級女官が参入していて、修理の典侍が理髪、つまり威子の髪上げ係、宰相の典侍が供膳、つまり食事を出す係を務めています。 さらにNo.2クラスの掌侍や命婦などの女官も出入りしていて、威子に白い衣装を着付けて、色々な世話を焼いているようです。そして道長は女性に親切なので、彼女らに色々な贈り物をしていることをこまめに書いています。 おそらく道長にとっては、自宅の東三条殿に、正装した天皇付きの女官たちが出入りすることが大変嬉しかったのでしょう。もちろん実資たち宴会の参加者にはそれを見ることはできませんから、いわば主催者側だけが知る<秘密>としてこのことを書いたと思います。 そう、この日は、道長にとっては、我が家の土御門第が中宮の宮殿であり、内裏の一部になった日だったのです。 本人は太閤、つまり引退した摂政太政大臣なので御簾のうちに構えていたようですが、まさにその人生のピークの一日だったのでしょう。
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