スコットランド独立問題 沖縄に波及はあり得る? /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
スコットランドがイギリス(大ブリテンおよび北部アイルランド連合王国)から独立する、つまり連合から離脱するのに賛成か反対かの住民投票が2014年9月18日に行われ、反対派が多数を占めました。 【図表】沖縄でたびたび浮上する「独立」論 背景と歴史は 住民投票は否決こそされたものの、欧州の他地域の独立運動に影響を与え、日本の沖縄独立論と絡めて論じられることもあります。今回のスコットランドの独立問題と沖縄の独立論には、どのような共通点と違いがあるのでしょうか。
英国政府へのうっ積した不満
独立というと民族や宗教の違いや、宗主国への反発から起きる例がしばしばみられました。多くは血なまぐさい闘争を経ての革命的結果です。しかしスコットランドは合法的かつ平和な環境で是非を問うたのが特長です。 そもそもイングランド連合王国(イングランド・ウェールズ連合王国)とは別国家であったスコットランドが連合に加わった(大ブリテン連合王国)のは1707年。イングランド連合王国から経済的に締め上げられ統合した面が強くあります。とはいえ300年以上昔の話。今回の件も「過去に独立していた」を懐かしむ思いがスコットランド人になかったとはいいませんが、直接の要因となったのが60年代に見つかった北海油田・ガス田の存在と1979年から90年まで首相を務めた保守党のサッチャー政権による政策です。 北海油田・ガス田と総称される地域の多くがスコットランドに近接していて、スコットランド人からすれば不当に収奪されているとの思いがありました。加えてサッチャー政権が石炭鉱山や造船といったグラスゴーを中心に発展してきた産業を合理化し、多くの失業者を出し、一時期人口減少などで都市がさびれていきました。 1997年、スコットランドを金城湯池とする労働党が保守党から政権を奪還し、票田の不満を少しでも抑えようとスコットランド自治政府の発足を認め、2011年の自治政府議会選挙で住民投票を公約に掲げたスコットランド国民党が勝利して具体化していきます。12年に、14年末までの住民投票をする合意がなされ、自治議会とイギリス政府が翌年法制化しました。2010年に保守党が政権を再奪還したものの、住民投票そのものを拒否すればより反発を強めるとの配慮が働いたようです。 独立賛成派は次のような政策を掲げました ・北海油田・ガス田の正当な取り分を確保して福祉政策などに充てる ・スコットランドに置かれている英国唯一の核兵器(核弾頭ミサイル付き原子力潜水艦の母港)撤廃 想定外の賛成盛り上がりに慌てた英国政府は「通貨(ポンド)を使わせない」というムチと自治権のさらなる拡大というアメで必死に食い止め何とか連合王国残留へとこぎ着けたようです。