4月から国家資格化の日本語教師、薄給と激務、非正規雇用、高齢化の実態 #生活危機
しかし、カリキュラムは組み直しで、テキストなどの教材は変更になる。 「そのための予算が文科省から出るのではと思っていたのですが、そういう話はいまのところ聞かないですね」と話す関係者も多い。 一方で留学生を受け入れる日本社会のほうは、まだまだ「文法メイン」のテストを重視している。外国人が進学や就職活動のときに必要になるのはおもにJLPT(日本語能力試験)のレベルで、こちらは文法や単語が中心だ。企業も大学もJLPTを外国人採用の判断材料にしている。 つまり日本語学校は、文科省の方針に従い「参照枠」に沿った教え方をしつつ、進学・就職用のJLPT向けカリキュラムも残しておかなくてはならない。なかなかの負担でもあるし、ダブルスタンダードの中で留学生にしっかり日本語を教えられるのか、たくさんの教師が不安に感じている。
「参照枠」は本格的な移民社会への布石か
「日本語教育の参照枠」がモデルにしているのは、CEFR(セファール)=ヨーロッパ言語共通参照枠だ。 ヨーロッパでは、長期滞在や就労を求める外国人に対し、このCEFRを基準にした一定の語学力を求める国が多い。いわば「移民の登竜門」だ。 たとえばドイツでは、ドイツ語に加えてドイツ文化、生活習慣、価値観などを学ぶ700単位(1単位45分)の「統合コース」を受講し、CEFRの基準で「支援なく日常生活が送れる」レベルの語学力を得ることを、移民の義務としている。そしてこの「統合コース」は、国の支援により格安で受講できる。 日本も、このCEFRをモデルに「どう生活するか」に重きを置いた「日本語教育の参照枠」を導入した。これはつまり、日本もいよいよ本格的な移民社会に足を踏み入れる、その第一歩なのではないか。これまで日本政府は、この10年ほどで急増した外国人労働者を「あくまで留学や出稼ぎの短期滞在者」であり「移民ではない」としてきたが……。 だとしたら、日本語学校は移民政策の窓口となるが、ドイツのように国が支援する動きはない。ある日本語学校関係者はあきらめ気味に言う。 「日本語学校はもともと私塾から始まったもので、いまも会社形式がほとんどです。学校法人にするには(校舎用に)自社ビルを所有しなくてはならないなどハードルが高いので。しかし国としては『民間企業に補助金などは出せない』ということなのでしょう」