【闘病】脳腫瘍で「人生終わった…」 から一転、てんかんの後遺症があっても前を向く
治療の副作用と思わぬ後遺症で再び絶望が襲った
編集部: 治療中に大変だったこと、副作用で辛かったものはありますか? 畑中さん: 最初に大変だったのは手術後に酷い髄膜炎を患い、痛みのスコアを表すNRS(痛みを0~10の11段階で表現するスコア)で10の頭痛と、40度以上の高熱に2週間苦しめられたことです。ハンマーで殴られたような頭痛が襲ってくるため、6時間毎に痛み止めの点滴を受けて何とか乗り越えました。 編集部: ほかに大変だったことで思い浮かぶのはどんなことでしょうか? 畑中さん: 抗がん剤と放射線治療の副作用です。吐き気、倦怠感、脱毛などがありました。脱毛は抗がん剤投与から10~14日目に起き、髪の毛を掴んだら掴んだ分だけ抜けるほどだったため、バリカンですべて剃りました。副作用で特に酷かったのは食欲不振で、ご飯は入らないのに空腹感を強く感じる状態で苦しかったです。看護師さんやナースエイド(看護助手)さんがお菓子やジュースを差し入れてくださり、そのおかげで乗り越えられました。 編集部: 畑中さんが治療中に心の支えにしていたもの、支えになってくれた人はどなたでしたか? 畑中さん: 大学3年生から交際していた彼女の存在です。コロナ禍で面会は禁止でしたが、日々電話やLINEで連絡を取り、私がどんなに辛いときも支え続けてくれました。がんと診断されても別れずに一緒にいてくれたため、「この人と結婚したい」と思うようになり、抗がん剤治療の2クール目が終わったタイミングでプロポーズしました。また、地元の友人も毎日のように電話をして、連絡を取り続けてくれました。ほかにも、看護師さん、ナースエイドさん、理学療法士さん、作業療法士さん、言語聴覚士さんなど、色々な方々に良くしていただき、入院生活中はたくさん支えていただきました。 編集部: 現在の体調や生活の様子についても教えてください。 畑中さん: てんかんを患ってしまったので、てんかん発作を引き起こさないためにも毎日睡眠時間を6~8時間確保しています。極力疲れを貯め込まず、身体に負担にならないよう気を付けて生活しています。また、週1回ジムに通って筋トレ、そのほかの日にランニングなど、日常的に身体への負担にならない範囲の体力トレーニングも行っています。 編集部: てんかん発作はどのようにして起こるようになったのでしょうか? 畑中さん: 4か月の闘病を終えて退院したのが2020年11月、その後体力と相談しながら週2、3回薬局薬剤師として働き始め、半年ほどが過ぎた頃です。いつものように仕事を終えて帰宅し、家で休んでいたところ、人生初のてんかん発作を発症しました。救急車で病院に搬送され、「症候性てんかんの疑い」で入院となりました。 編集部: 症候性てんかんになったことで、生活にはどのような変化がありましたか? 畑中さん: 当時は車がないと不便なエリアに住んでいたことと、自分の闘病経験を生かして患者さんに寄り添いたいと思うようになったことで、都市部の病院薬剤師に転職しました。2年間は運転禁止でしたが、その間一度も発作がなかったため、一度は運転も解禁されました。しかし、その2か月後に再び発作が起こり、現在は抗てんかん薬のレベチラセタムを服用しています。