【闘病】脳腫瘍で「人生終わった…」 から一転、てんかんの後遺症があっても前を向く
話を聞いたのは、松果体部胚細胞腫瘍の闘病経験を持つ畑中聡一郎さん。畑中さんは新卒の薬剤師として働き始めて間もない頃、松果体部胚細胞腫瘍の脳下垂体多発転移と診断されました。現在はその自らの闘病体験を発信、オンラインがんサロンも運営するなど、精力的な活動もしています。畑中さんの話から脳腫瘍という病気への理解を深め、病気で困っている人を助けるために何ができるのか考える機会にしましょう。 【写真・本人提供】手術後の頭部(痕)や病気発覚前の姿 ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年4月取材。 [この記事は、Medical DOC医療アドバイザーにより医療情報の信憑性について確認後に公開しております]
社会人1年目に襲い掛かる「人生が終わった」と思う大病
編集部: 初めに畑中さんの経験された脳腫瘍、下垂体・松果体の多発転移について教えてください。 畑中さん: 私が罹患した脳腫瘍(胚細胞腫瘍)は、ジャーミノーマ(胚腫)という種類で、10~20代の若い男性に発症しやすいとされています。主に脳の下垂体や視床下部、松果体、大脳基底核という部位に生じやすく、ほとんどのケースでMRI検査から判明するそうです。症状として多いのは尿崩症(大量の水を飲み、尿量が増加する症状)や視力低下・視野欠損、水頭症による頭痛と嘔吐などです。私の場合は酷い疲労感もありました。 編集部: 畑中さんが病気の診断を受けるまでの経緯も教えてもらえますか? 畑中さん: 2020年4月から新人薬剤師として働き始め、2か月が経過した6月ごろから朝起きた時に酷い吐き気と頭痛、右方向を見た時にのみ視界の歪みが起こるようになりました。疲労感も酷く、毎日8時間程度睡眠を取っても疲れが取れませんでした。「さすがにこれは怪しい」と思い、自分なりにGoogleで調べた結果、脳腫瘍と言うワードがヒットしました。しかし、「流石にそれはないだろう。働き始めたばかりだから疲れているだけだ」と思っていました。 編集部: そこからどのように判明したのですか? 畑中さん: そろそろ休みをもらわないと身体が限界だと思っていた矢先に、職場の健康診断があり、そこで視界の歪みの症状を訴えた結果、眼科へ行くように促されました。精密検査の結果、脳腫瘍の可能性が高いとのことで緊急入院になったというのが判明までの経緯です。 編集部: その結果、病名が判明したのですね。 畑中さん: はい。MRI検査で脳腫瘍ということがわかり、すぐに緊急入院して視覚障害改善目的の第三脳室開窓術(脳の底に穴を開け、頭の中にたまっている水の流れを良くする手術)と、腫瘍生検術を行いました。そして、腫瘍生検術でジャーミノーマ(胚腫。WHOグレード4)の下垂体、松果体多発転移であると発覚しました。 編集部: 病気が判明したときの率直な心境を聞かせてください。 畑中さん: 告知されたときは、「人生終わった」と思いました。健康診断で眼科へ行くよう言われ、眼科では水頭症の影響で脳の圧力が高すぎて視神経乳頭(目の奥の神経と血管の付け根)から出血していると言われていました。眼科から脳腫瘍疑いで精密検査を勧められ、検査では悪性か良性か、どのくらい進んでいるかも不明と言われたので余計に。 編集部: 治療についてはどのように進めると説明されたのですか? 畑中さん: 「すぐに入院し、明日には緊急手術です」と言われました。その後は「抗がん剤と放射線でがんを治療していく」と説明を受けました。 編集部: 治療期間中に特に大変だったこと、ご自身の中で大きな変化があったことはありますか? 畑中さん: すぐに緊急入院したことに加え、当時はコロナ禍だったこともあり、病院からは一歩も出られず、面会禁止の状態でした。食べたいものも食べられず、会いたい人にも会えない生活が始まりました。まさに人生が180度変わったような感覚でした。また、退院後の話ではありますが、体力面からフルタイム薬剤師として働けるだけの体力がなく、パートタイムでしか働けない時期があり、社会人1年目ということもあって出遅れて苦労しました。脳腫瘍の後遺症でてんかん発作が起きてからは車に乗れなくなり、そこも生活では一番の変化でした。