[懐かし名車旧車] トヨタ初代カローラレビン/スプリンタートレノ(TE27型)【その走り、稲妻の如し】
大衆に受け入れられた初代カローラだが、その成功の要因が4速フロアシフトやセパレートシートの採用など、ライバルに先んじたスポーティ志向にあったことはよく知られている。2代目でもサイズアップと装備充実を図りながら、新たなホットモデルを投入。ツインキャブエンジンを積む1400SLとSR、そして極めつきがセリカの2T-Gツインカムエンジンが移植されたレビン(英語で“雷光/稲妻”の意味)だった。そしてこのホットモデルはトヨタ車には珍しく、ラリーなど競技を強く意識したかなり硬派な仕様とされていた。 【画像】[懐かし名車旧車] トヨタ初代カローラレビン/スプリンタートレノ(×21枚)
日本人のマイカー観をスポーティーにスイッチした、カローラDNAの象徴
カローラを開発した長谷川龍雄主査が、「80点プラスα主義」を標榜したことはよく知られている。すべてが100点満点のクルマを作ることはできない。だから、すべての面で合格点である80点以上を取り、さらにどこかに他とは違う突出した魅力を与えることで差別化を図るという考え方だ。 初代カローラのプラスαのポイントは、“スポーティー”だった。庶民にはマイカーがまだ半分夢だった当時、人々が憧れた自動車の手本は大型のアメリカ車だ。堂々たる3BOXのセダンで、乗り込めばフカフカのソファのようなベンチシートが理想。メーターは、高級オーディオのチューナーのような横長デザインが定番だ。 変速レバーはハンドル横にのびたコラムシフトが上級の証し。今では常識の、床からレバーが生えたフロアシフトは、当時の人々にはトラックを連想させた。ところが、カローラは要所をメッキで飾った3BOXのセダンフォルムこそイメージ通りだったが、乗り込むと庶民の常識を裏切った。 シートはセパレートタイプで、メーターは円形の2眼式。しかも、シフトレバーは床から生え、ギヤ段数はそれまでの常識だった3速より多い、4速もあったのだ。あえて採用したそれらこそ、カローラはオーナー自身が運転を楽しむためのスポーティーなクルマであるという、プラスαの主張だった。 1968年にはクーペのカローラスプリンターが登場して、より鮮明になったそのメッセージは人々に受け入れられた。そうして、カローラは日本人のマイカー像を、運転を楽しむためのスポーティーなクルマへと定着させたのだ。 ◆カローラスプリンター(1968年):レビン/トレノのルーツは、初代カローラに追加されたクーペ「カローラスプリンター」。ファストバックスタイルだが独立トランクを持つ。エンジンはセダンと変わらず、発売当社は1.1L、後に1.2Lが積まれた。 かくして大成功したカローラは、1970年に登場した2代目になるとさらにその路線を押し進めた。ボディタイプは最初からセダンに加えてクーペを用意。初代ではクーペの車名だったスプリンターは兄弟車として独立し、そちらにもセダンとクーペが用意された。 一方、同年末に日本初のスペシャリティカーとなるセリカが登場。スポーティーなクルマへの希求はさらに高まった。時代は毎年、面白いように給料が上がる高度経済成長期ローンも普及して若者にもマイカーがいよいよ現実的になる。 そんな時代を背景に、トヨタは1972年にカローラとスプリンターにさらなる飛び道具を投入する。それぞれ1.4Lが上限だったクーペボディに、セリカでデビューした1.6LのDOHCエンジン、2T-G型を積んだのだ。TE27型カローラレビン、スプリンタートレノの誕生だ。