震災10年目の節目にJ1ベガルタ仙台に復帰した手倉森監督の覚悟「タフに戦う今年の仙台をお見せする」
「今シーズンのいろいろな出来事で気持ちが離れてしまった県民、市民の気持ちを取り戻したい」 そして、年が明けた先月12日に発表された新シーズンの開幕カードを見て、再び天の導きを感じずにはいられなかった。広島を率いる城福浩監督の表情をパソコン画面の向こう側に見ながら、手倉森監督は自らも被災した、10年前の記憶をいま現在へと結びつけている。 「2011年の開幕戦がサンフレッチェ広島で、その後に震災に遭った。節目の年にサンフレッチェ広島と開幕戦を戦えるのは、ベガルタ仙台のサポーターにとっても、あの当時の思いがある」 J2を戦っていた2008シーズンにヘッドコーチから昇格。初めて監督を務めたなかで2年間をかけて仙台をJ1復帰に導き、残留をへて通算で4年目のシーズンの幕が開けた直後の3月11日午後2時46分。敵地で行われた広島との開幕戦をスコアレスドローで終えていた手倉森監督は、名古屋グランパスを迎えるホーム開幕戦を翌12日に控え、クラブハウス2階で入念な準備に追われていた。 クラブハウスの天井が崩壊し、いたるところで窓ガラスが割れ、家具なども倒壊する状況から何とか脱出した。Jリーグの公式戦どころか、練習すらままならない日々。MF関口訓充らが避難所生活を余儀なくされ、中断期間中には加入したばかりのFWマルキーニョスが退団した。 迎えた4月23日。敵地で臨んだ川崎フロンターレとの再開初戦を、逆転で制した直後に指揮官は男泣きした。続くホーム開幕戦で浦和レッズから公式戦初勝利をあげ、その後も当時のJ1新記録となる12試合連続無敗(6勝6分け)をキープした過程で、手倉森監督の檄は言霊と化していた。 「被災地東北の希望の星になろう」 2011シーズンは最終的に4位へ躍進し、続く2012シーズンには広島と最後まで優勝争いを繰り広げた末に2位でフィニッシュした。手腕を買われた手倉森監督は2014年からリオデジャネイロ五輪を戦った男子代表監督に抜擢され、大会後は日本代表コーチとしてロシアワールドカップを戦った。 「その後のベガルタ仙台がJ1で苦しんでいるなかで、地域も復興への道の途中で少しくたびれたのかもしれない、と思っていました。節目の10年で、東北は沈んではいけないともう一度、エネルギーを出し合わなければいけない。新たな一歩を力強く踏み出していきたい」