なぜ小林陵侑は24年ぶりの五輪ジャンプ金メダルを獲得できたのか…ライバルが苦しんだ追い風を味方につけた最強技術とメンタル
小林は、今季W杯で7勝をあげて、ゆうに150mを超える巨大なラージヒルのジャンプ台で開催されたビリンゲンW杯(ドイツ)で優勝して意気揚々と乗り込んできたが、五輪イヤーは、決して順風満帆ではなかった。序盤はトラブル続きだった。W杯2戦目にスーツの違反を指摘されて失格。11月には新型コロナに感染してフィンランドのクーサモ・ルカに10日間、隔離された。極寒のなか静かな隔離部屋で一人落ち込んでいると、さらに奈落の底へと突き落とされそうなメンタルになる。「ここでふてくされてしまうのは良くない」と、頻繁に連絡を取っていたのが、高校生の小林を土屋ホームにスカウトして7年間指導してきた葛西氏だった。 葛西氏は黙って小林の愚痴を聞いた。 「その今の気持ちを次の試合にぶつけていきなさい」 ジャンプの酸いも甘いも知り尽くす“レジェンド”と会話をするたびに顔色が良くなり、みるみる元気になっていく。普段、この2人はぺちゃくちゃとお喋りをするわけではない。心の拠り所である「ノリさん」とアイコンタクトするだけで力をもらえる気がするという。 新型コロナの感染拡大状況もあり、日本チームは長期間にわたる欧州遠征から途中帰国できず、スイスやオーストリアで休養時間を作るなど苦心していたが、疲労の蓄積は顕著だった。北京に直行。ジャンプ台での公式練習で、ようやく葛西氏に出会えた際、小林は、涙目になっていたという。 「しっかり飛びなさいよ」 その一言で勇気は百倍だった。 テレビのコメンテーターとして歴史的なジャンプを見守っていた葛西氏は愛弟子のジャンプの歴史を再び動かした金メダルの快挙に号泣していた。 小林の“伝説の五輪”はまだ始まったばかりである。今日7日には、混合団体があり、12日には個人ラージヒル、14日には男子団体が控えている。最大で4冠の可能性があるが、最も2冠目に近い個人ラージヒルでは、ノーマルヒルで後塵を拝した欧州のライバル達がリベンジに燃えてくる。だが、小林が「自分のジャンプ」を貫くことができれば、2つ目の金メダルは手に入る。心豊かに“令和の鳥人”が伝説へ飛翔する。