パリ五輪で“低身長イジメ”と言われても…恨み言を口にしなかった「森秋彩選手」 勝利至上主義に毒されない“強さ”のワケ(小林信也)
バイトを続ける理由
パリ五輪の期間中、アルバイト先のパン屋の制服姿がSNSに投稿され話題になった。今は住友商事をはじめ数社のスポンサードを受けている。自宅から筑波大に通う現役大学生。普段の生活費にも競技資金にも困らない。 なのにバイトを続けるのはなぜか。 「お金はある程度苦労してもらうものだと思うので」 真顔で言い、こう続けた。 「大学に入ったら、周りはみんな厳しい体育会の上下関係の中で生活している。私はそういう社会経験が足りないと思った」 将来設計も明確だ。 「スポーツクライミングは人生を彩る一部であって、すべてではありません。自分の一部をクライミングに捧げている感じ。だから、プロにはなりません」 21歳にして哲学をはっきり持つに至ったのは、高校時代の辛い体験が影響しているのだろう。 東京2020の前、選手選考で混乱があった。国内外で出場基準の解釈に相違があり、森は決まったはずの出場を取り消された。 「何もする元気がなくなって、練習にもなかなかいけませんでした」 森は19年10月から22年9月まで丸3年、国際大会から離れた。その間に自分と向き合い、苦悩の末に新たな道標を見つけた。 「それまでは他人を気にしてしまって、あの人に負けたくないとか、クライミングは自分との闘いだと分からずに周りばかり気にしていた。いまは自分と向き合えるようになった。自分に対する負けず嫌いですね」 復帰戦の22年W杯コペル大会リードでいきなり優勝。翌週エディンバラ大会でも連覇を飾った。クライミングの天性を自分でも感じた。 「小さい頃から木登りが好きでした。大きな桜の木から落ちてアゴをケガしたこともある。でもケロッとしていた。恐怖心より探求心、好奇心の方が強かった」 童顔で幼い印象だが、実際に会うと強烈な意志に圧倒された。全身から強い気持ちのあふれるアスリートに久々に会った。
小林信也(こばやしのぶや) スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。 「週刊新潮」2024年10月24日号 掲載
新潮社