吉田修一の新刊、江戸川乱歩賞受賞作…秋の夜長に読みたい本格ミステリーは、コクの深い「男と女の物語」を
■ 孤島、近づく嵐、謎の宝石、富豪の相続人達による密室舞台 こうして野良島に招待客が集まる。梅田翁の息子夫婦である一雄と葉子夫妻、夫妻の子供である豊大と野乃華の双子、探偵の遠刈田に、元警部の坂巻という6人である。 島内には梅田翁を筆頭に、住み込みの家政婦・清子、専属の看護師・宗方、ボートハウスに住み、電気工事など一切の雑事を引く受ける三上と、計4人の住人がいた。 招待客の坂巻元警部は、梅田翁と因縁の間柄である。1970年代半ば、当時光り輝く場所だった多摩ニュータウンで、幸せそうに暮らしていた一人の主婦が突然消える。彼女が元吉原の遊郭に身を置いていた娼婦だったことが分かり、その落差に報道は過熱する。世にいう「多摩ニュータウン主婦失踪事件」である。 捜査線上に、梅田荘吾の名が浮かぶ。主婦が消息直前に、すでに若き実業家として顔を知られていた梅田と会っていたという目撃証言が出てきたのだ。が、捜査はすぐに行き詰まる。坂巻がどう調べても、主婦と梅田が繋がらないのだ。事件はいつしか忘れさられた。 坂巻が定年退職するとき、梅田壮吾は古伊万里の皿を贈る。富豪の気まぐれだろうか。それとも「捜査人vs容疑者」という関係を、露悪的に面白がっているのだろうか。 以来、梅田翁が坂巻に「さて、あらたな証拠は見つかりましたかな」と楽しげに会話の口火を切り、坂巻も笑いながらいなすという関係が続いている。坂巻自身は梅田翁の露悪的なからかいも、この一家の仲のよさも大好きだ。 折りしも、それるはずだった大型台風が長崎方面に舵を切る。孤島、近づく嵐、謎の宝石、富豪の相続人達。と、出来すぎの密室舞台が出来上がる。吉田修一さんったら、とニヤけてしまう本格ファンは私だけではないだろう。 シャンパンの泡燦めく米寿の宴のテーブルで、梅田翁は上機嫌である。絶海の孤島に(すぐ孫娘に反論される、高速ボートで対岸はすぐなのに大袈裟だと)、金持ちの一族、客人には探偵に元警部がいる。「こんな状況で殺人事件が起こらないなんてことがありますか?」と、呵々大笑しかねないご機嫌ぶり。 しかし事件は起こる。翌朝、梅田翁の姿が消えるのだ。ベッドの枕の下からは遺書が見つかる。そこに自筆で書かれていたのは「私の遺言書は、昨晩の私が持っている」という謎めいた文言。 この時点で(読者にとっては)全員が容疑者だ。翁の場合は自作自演の大芝居、翁が他殺だった場合は、9人が容疑者。翁が就寝前に会ったのは看護師だけだったはずが、互いのチクリで、清子も三上も豊大も野乃華も会っていたことが判明する。