キャンプの外の「難民」たち 「中東の平和国」ヨルダンでの暮らし
難民と聞くと「劣悪環境下でテント暮らし」のイメージがわきがちだ。しかし、キャンプ内で暮らしている人々だけが「難民」とは限らない。例えば長年に渡って難民を受け入れている中東の国・ヨルダンでは、近隣諸国から逃げてきた人々のうちの8割以上がキャンプの外で暮らしている。彼らはどんな想いを抱き、どのような生活を送っているのだろうか。「難民キャンプにいない難民」の日常を追った。
ヨルダンは西にイスラエル、北にシリア、東にサウジアラビア、イラクなど、紛争・戦争の当事国となってきた国々に囲まれている。国土は決して大きくはなく、産油国ではない。周辺各国とバランスを取った関係を築いており、国内の治安は良好だ。パレスチナ、イラク、シリアなどから逃れてきた難民を長年に渡って受け入れている国でもある。
シリアを逃れたファティマさんの場合
シリア出身のファティマさん(仮名・54)の家は、アンマン北部の集合住宅の一室だ。午後6時過ぎに玄関のブザーを鳴らすと、夫のハシムさん(仮名・66)と共ににこやかに出迎えてくれた。夫妻は21歳の息子との3人暮らし。日本人を含む外国人に母国シリアの家庭料理を提供したり、アラビア語を教えたりして暮らしているという。 一家がヨルダンへ逃れてきたのは2013年のこと。 「シリアのダマスカス郊外の村が私たちの故郷です。英語の教師として25年以上働いていて、夫は国の水道事業を担う会社に勤めていました。私は仕事が大好きで、生活になんの不自由もなかった。家族はみんな近くにいて、穏やかに暮らしていました」 ファティマさんは故郷シリアの村で、障がいがある子どもたちと健常者の子どもたちとの交流を図る事業でボランティア活動にも従事していた。 「わたしは教師なので、子どもや、教えたりすることが好きだったんです」
そんな彼女の日常に変化の兆しが訪れたのは2011年。政権に対する国民の不満が抗議活動として表出し、内戦へと続くことになるシリア危機の波がファティマさんの村にもおよんだ。周囲の様子がだんだんと不穏になっていったという。 「毎日のように村の中で喧嘩や暴動がおこり、爆弾や戦車の音、兵士たちの大声が聞こえるようになりました。特に怖かったのは夜です。暗闇の中で物音に怯えながら、眠れない日々が続くようになりました」