キャンプの外の「難民」たち 「中東の平和国」ヨルダンでの暮らし
「息子はシリアに戻りたくないと思います。シリアでの恐ろしい思い出がとても多いから」。落ち着いて話をしていたファティマさんの目が潤んだかと思うと、涙がこぼれた。「それを想うと残念でたまりません。本当に残念です。息子はあの地でとても嫌な子ども時代を過ごしてしまった」 息子の将来を気遣いながらも、ファティマさん夫妻はシリアでの生活に戻りたいと願っている。 「でも私たちは、もし状況が許すようになれば、いつかシリアに戻りたい。あそこが故郷なんです」
イラクからの避難者たち
アンマン市内には、隣国イラクから逃れて来た人々も暮らしている。市内にある教会の中に彼らが働くレストランがあると聞き、足を運んだ。 レストランは教会の敷地内の一部を使って営業している。看板も出ていないが、クリスマスを前にした日曜夜の店内はほぼ満席。手作りのクリスマス飾りがそこかしこに配置され、活気に満ち溢れていた。言われなければ繁盛している人気店にしか見えない。
客の注文を取ったり、厨房の窯でピザを焼いたりときびきびと立ち働く男性らの姿があった。全員がイラクから逃れてきた人々だという。
将来のためのスキルを
彼らを支援するイタリアに本部を置くNGO「HABIBI」のプロジェクト・コーディネーターを務める女性、アンナマリア・ミナルディさん(27)によると、彼らは正式な難民認定を受けていない庇護(ひご)申請者。ヨルダン国内での正式な就労が認められていないという。「難民認定の待機組」と表現しても良いかもしれない。 「ここで賃金を得ているわけではないんです。私たちは彼らを雇用しているのではなく、将来第三国に渡って働けるようになった場合に備えたトレーニングとして、スキルの習得などを目的にプログラムを運営しています」
HABIBIはもともと、イラクからヨルダンに逃れてきた少女たちの支援をしてきた。出身地に伝わる刺繍(ししゅう)や裁縫(さいほう)の技術を用いた商品の販売を通して自立への道筋をつけるプロジェクトの運営を主に行っている。 「彼女たちはヨルダンでは学校にも行けず、働くこともできません。命の危険からは逃れてきたものの、何もしない、できない生活の中では徐々にやる気や活力が奪われていきます。毎朝起きて、行くところがある、そして自分のやるべきことがある、という生活の目的意識が彼女たちの支えになっています」 「というより」と彼女は続けた。 「何よりもそこが大事だといってもいいかもしれません」