「あなたは母親にならない方がいいと思う」不妊治療中にいわれた言葉を日々考えながら…“減点方式”の育児に追い詰められる「母親たち」へ(レビュー)
子供が生まれてからも「ちゃんと“母親”をやれていないような」不安が…
子供が生まれてもうすぐ一年がたつが、その間、この「自罰の刃」について考えなかった日は一日もない。今も毎朝起きると「今日も自分を責めない」と心に誓うことから始めるし、「子供に刃が刺さっていないか? ちゃんと愛せているか?」をたびたび確認してしまう。まだちゃんと“母親”をやれていないような、漠然とした不安はずっと続いている。「母親にならない方がいい」という言葉を言ってくれたことには感謝しているが、どうやったら自罰と自責をやめられるのか、その答えはまだ出ていない。 今回『母親になって後悔してる、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち』の書評依頼をいただき、まずこの本ができるきっかけとなった、イスラエルの社会学者オルナ・ドーナト氏の『母親になって後悔してる』を一年ぶりに読み返してみた。ちょうど妊娠中に読んでいたので、その時は何となくまだ自分は取材者のような立場で、観察するように母親たちの言葉を追ったものだった。子供が産まれ、母親という当事者になった今は、全く違う本のように感じられた。その切実さも祈りも、取材対象としてではなく、自分自身の延長線上に存在するように身近なものになっていた。 そして本書『母親になって後悔してる、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち』を手に取ると、自分に刃を刺さざるを得ない数多(あまた)の母親たちの姿がありありと描かれていて、一人一人の言葉を読み進めるごとに、涙が止まらなくなった。どの言葉にも深く頷き、その痛みを想像して苦しくなってしまった。どう追い詰められてきたか、そこからどう抜け出したか/抜け出せていないか。その過程は人によって様々だが、社会のありようも人々の価値観も大きく変化していく中で、世間が考え、押し付けてくる「母親」の役割についてはなぜかほとんど変わらない、ということに起因して追い詰められているケースが多いように感じられた。
女は子供を普通に産み育てることができて当たり前? 「減点方式」の育児に追い詰められる
育児は減点方式だと思う。“女が子供を産み育てることは普通にできて当たり前”とされる社会の中で、今日は離乳食を食べてくれなかった、絵本を読んであげられなかったと、毎日小さな減点が積み重なっていく。どんどん追い詰められていき、できない自分を責め、罰してしまう。自分だけがうまくできないように思い、深い孤独を感じる。私自身も育休期間中はほぼそんな日々だったような気がするし、今もまだ続いている部分もある。たとえば夫と遊んでいた娘がぐずり始め、そばにいって抱き上げると娘が泣き止む。「やっぱりママが好きなんだね」と夫に言われたとき、私は喜びよりも先に「よかった、母親をちゃんとやれているんだ」と安堵してしまう。そこで泣き止まなかったら、また減点されたようで落ち込む。だからこの本を読み、月並みだが「自分だけじゃないんだ」と、誰かから許してもらったような気持ちになった。 頼ることができる人が身近におらず、孤独な状態で乳児の育児に追われている今の自分が、果たしてこの本の的確な書評を書けているかはわからない。あまりに切実さの親和性が高すぎて、冷静に読めていない部分もあるかもしれない。でも一つだけ言えるのは、ここに登場してくれた母親たちの言葉によって、自分も語りはじめることができた、ということだ。冒頭に書いたエピソードは、これまでごく身近な人にしか話したことがなかったし、恥ずかしいことなので話すつもりのなかった話だった。母親にならない方がいいと思われるような自分でもどうにか母親をやっている。そのことを語ることが、誰かの気持ちを楽にすることもあるかもしれないと思った。この社会で生きる母親たちが抱える困難は、一朝一夕にどうにかなるようなことではないが、この本のタイトルが示すように「語りはじめる」ことが、何かを変える大きな一歩になるように思えるのだ。 [レビュアー]佐野亜裕美(ドラマプロデューサー) 1982年、静岡県生まれ。ドラマプロデューサー。東京大学卒業後、TBSに入社。2009年よりドラマ制作部で『99.9 刑事専門弁護士』や『カルテット』を担当した。2020年に関西テレビに転職し、『大豆田とわ子と三人の元夫』や『エルピス 希望、あるいは災い』をプロデュース。『カルテット』でエランドール賞、『エルピス』でギャラクシー賞を受賞した。2023年、CANSOKSHAを設立。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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