「日本初のろう理容師」なぜ 評伝ではなく小説に?『音のない理髪店』著者・一色さゆりさんが語る「小説の役割」
人がつながる様を描きたい
――これまでの「アートミステリー」の作風とはがらりと異なる小説です。 今までの美術をテーマにした作品とまったく違う、ろう者の物語を唐突に書いたと思われるかもしれませんが、私にとっては地続きなんです。これまでも、本来つながりあえない人たちがアートを介してつながる様を一貫して書いてきました。 今回も根本は同じです。ろう者は世界を、言葉ではなく映像として認識しているように感じます。それは視覚情報から読み解く美術鑑賞とよく似ています。これまでの美術小説と同様、本来言語化できないろう者の映像的な世界を、あえて言葉で描写したいと思いました。 ――評伝ではなく、小説の形にこだわったのはどうしてでしょうか? 読み応えがあり、面白い小説としての設定や展開を求めました。祖父をモデルにしていますが、家族や親族への取材はあまりしなかった。例えば力道山が活躍したテレビ放映、店内のインテリアなど、時代観を描写するための情報をもらったぐらいで、細かな感情面は聞いていません。 実は書く前から、とても悩んだんです。ろう者がたどってきた歴史をリアルに書きすぎると、読み進めるのが苦しい物語になってしまう。ドキュメンタリーでは観られる内容が、小説では厳しい。 逆に希望あふれるフィクションのテイストが強くなると、作り話めいてしまう。果たしてエンターテインメントとして成立するのか。社会問題を提起するジャーナリズムのように書くのは小説の役割だろうか。考えることはたくさんありました。
過去と現在がつながっていく
――小説の中では、現在のつばめと、過去の父や伯母、祖母など、語りの視点が入れ替わり、祖父の本当の姿が鮮やかに浮かび上がってきます。 理髪店の経営が軌道に乗るまでの物語を、過去の時間軸のみで書き進める方法もあったのですが、現代のつばめの視点と行ったり来たりさせることで、「過去があるから今がある」ことを明確に伝えたかった。いろんな視点を入れることで五森正一という人を多角的に表現できると考えました。 ただ、数人分の回顧録と現代が入れ替わっていくだけだと、ぼやけてしまう。プロットの構想の際に何か希望となるような背骨がないかと練り上げる中で、優生保護法に関連し、正一の妻の喜光子が抱える「秘密」を思いついたんです。 その時、それまでぼんやりしていた物語が、確かな小説の形を取りました。私自身がこの作品の核に気づいた瞬間でした。 ――何世代にもわたり、思いがつながれてきたことが判明します。 ろう教育の歴史を取材する中で驚いたのは、名誉や金銭のためではなく、目の前の人が困っているから何とかしたいという気持ちで活動している人が多かったこと。それでも、一代では現状を変えることはできず、バトンが受け継がれてきた歴史があります。そのドラマチックさを小説でも表現したかった。 はじめは負の部分に焦点を当てているノンフィクションや参考図書が目立ち、実情を捉えにくかった。でも広く調べるうちに、今作でも少し触れていますが、スイスの教育者のペスタロッチの活動などを知りました。本当は、たくさんの人が必死に努力してきた歴史が積み重なっているんです。 ――今後も読者は新しい作風を期待しそうです。 アートに限らず、どうしたら人と人の間の壁を越えられるのかというテーマは、変わらず追い続けていきます。同じ場所やグループにいても、例えば見た目や属性、使う言葉、人生の背景が少し違うだけで、疎外感を味わうことはあります。逆に相手をイメージだけで判断することもありますよね。ろう者といっても抱えている悩みは聞こえる側の想定とまったく違う可能性もあります。 私たちのコミュニケーションの底に横たわる問題を、今後も正面から書いていきたいです。 (取材・文/佐藤太志) 「週刊現代」2024年10月26日・11月2日合併号より
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