【バラク・オバマ】団結と分断を超えてアメリカ社会に残したものとは?
初のアフリカ系アメリカ人として、第44代アメリカ合衆国大統領となったバラク・オバマ。当時のアメリカ社会の作用と反作用、そして彼が残したレガシーや、現代に繋がる潮流とはなにか。さて、モーリーはどう見ている!?
オバマ以前の時代というのは、テロとの戦争への反省と疲弊、そしてリーマン・ショックの影響などで、アメリカがなにかうまくいっていないという状況でした。それまでのアメリカでは、豊かさの原動力となった中産階級、特に労働者の白人男性は必ず最後に守られてきた。その暗黙の了解が破られ、定年退職した人がローンを払えずに家を失うようなことが起きました。一方で、ブロードバンドの普及により若者が台頭した時代でもあります。若者が自信をもち、社会の主導権を握りたいと思っていたところへ、ちょうどオバマが登場しました。 オバマは「イエス・ウィー・キャン」のフレーズで、憎しみや格差を乗り越えてみんなで頑張ろうというチームワークを提唱します。彼を支えたのは潜在的に眠っていた若者票で、選挙チームもすごく若かった。そして人種ミックスの度合いも高い。これらの点は前世代とだいぶ違います。それまでの政治は完全に白人男性の世界。権力が偏っていて、全くシェアされていない。こういう環境の中で、自分たちでも政治を動かせるという若者の夢が再燃しました。選挙戦でネガキャン合戦をしなかったのも、こうした若者に希望を与えたと思います。 ただ、2年後の中間選挙の頃にはティーパーティが出てきます。融和を求める動きへの強烈な反発と生理的な嫌悪です。オバマが指し示す未来がなにを意味するかというと、まず人種のミックス化。そしてIT 化です。グローバリズム、IT、そして価値観の若返りによって、アメリカを地道に支えてきた人々の雇用環境が非常に不安定化しました。こうした人々が“怒りの政治”に動員されたのが中間選挙であり、ティーパーティです。ここからポピュリズム、トランピズムへと流れこんでいくことになります。 ティーパーティ派の議員はいっさいの妥協を許さず、歩み寄ることがない。政治のプロセス、民主主義そのものに興味がなく、自分たちの思想が政策として実行されるまでは、たとえ身内でも攻撃しました。これには共和党も困ってしまい、党内ですら物事が決まらない。そうした議員が主導権を握っていく中で出てきたのがトランプでした。利害が生々しくぶつかり合い、煽られ、お祭り騒ぎの一揆に発展したといえます。 オバマ時代の変化でいえば、白人と非白人が結婚することへの抵抗感が、若い世代で急速になくなっていきました。普段からタイ料理を食べたりする若い人は、多文化への抵抗感がない。自ずとキリスト教の教義から離れたライフスタイルになっていきます。オバマから15年が経ち、当時の若者は40代に向かっています。そして当時5歳だった子が20歳。Z世代です。この世代は正義の概念に非常に純粋。環境問題、人権、格差、すべてにおいて不正義を許さない。そして自分がコミットしなくてはならないという使命感もある。そういう子たちが次世代として育ちつつあります。 Z世代がトランプになびくとは、ちょっと考えられない。バイデンに失望し、選挙に行かない人はいるでしょう。でも今後の選挙戦でハリスが、最高裁による中絶抑止の決定をイシュー化し、検事経験を生かしてトランプの有罪判決を追及すれば、これはもう正義です。Z世代が燃え上がる可能性は十分にあります。 おそらくハリスの選挙戦略はオバマを継承したものになるでしょう。オバマは多様性を掲げ、白人主流派に権力のシェアを求めました。そのシェアした結果がロクでもなかったというのがトランプの反応ですが、実際に黒人や女性が権力をもつことに違和感を抱かないアメリカ人は激増しています。オバマのレガシーが底流にあり、価値観の変化は劇的に進んでいる。その扉はもう閉まらないと思います。トランプ以降の流れを含め、オバマ物語はまだ終わっていないのです。