入浴は“悪”だった…ヨーロッパの「風呂キャンセル時代」が300年も続いた理由〈マリー=アントワネットも苦悩〉
入浴という行為が、悪の象徴だった国々と時代があった。「古代ローマ」から「風呂キャンセル」まで、美容の視点から、人類の清潔と不潔の歴史を読み解く。 【画像】ショコラを飲みながら湯に浸かったというマリー=アントワネット。エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《薔薇を持つマリー=アントワネット》
極楽ローマ風呂は衰退…なぜ悍ましき不潔の時代へ向かったか
風呂文化を花開かせたのは、言うまでもなくローマ帝国。それこそ贅を尽くした巨大な公衆浴場はいわば一つの社交場。3,000人もの人を収容できる上に、既にサウナ的なものも。あらゆる娯楽から、ジムや図書館までと、現在のスーパー銭湯どころではない豊富な設備を整えて、利用者はそこで日がな一日過ごすという、成熟した文化を生み出していた。 大衆の心をつかむ政治的な戦略でもあったというから、それがローマ帝国とともに衰退するのは解るが、ヨーロッパ全土に広がっていた風呂文化が結局衰退し、わざわざ暗黒の不潔史に突入するのはなぜなのか? ローマ風呂が混浴だった時代、必然的に風紀が乱れ、売春婦などが出入りするようになった。そのため、後期には男女別浴が増えるものの、社交場という役割からどうしても退廃的になっていく。 そもそもそうしたリスクを孕む公衆浴場それ自体を否定したのが、ローマ帝国崩壊後に力を増す“キリスト教会”だったのだ。
「入浴は邪悪なこと」「心が綺麗なら体が汚くても……」の教え
キリスト教は、裸になるのも湯に浸かるのも情欲につながるとみなし、公衆浴場を不道徳で不健全な場所として排斥する一方で、「体が不潔であるほどに魂は清らかで高潔となる」と説いた。入浴は虚栄心や俗心を示す邪悪な行為と。 中世初期のキリスト教徒たちは聖人の不潔さこそ「敬神の印」とし、全身どこも洗わず、着替えさえしないことを苦行と考えたため、とてつもなく不潔だったと言う。 また一般市民も、悪いものは入浴時に毛穴から入ってくると信じ、信仰の深さと不潔さが結びつけられていく。ペスト蔓延も「水が媒介になる」との狂気のデマから水を恐れ、さらに入浴は悪の温床になる。 結果、揺るぎない不潔の時代が始まり、途中、“十字軍の影響による入浴復活”など様々な変化はありながらも、結局19世紀までろくろく入浴しない歴史が続くのだ。