入浴は“悪”だった…ヨーロッパの「風呂キャンセル時代」が300年も続いた理由〈マリー=アントワネットも苦悩〉
悪臭地獄に耐えられなかった、マリー=アントワネットの苦悩
意外なのは中世以降の多くの国で王侯貴族も一様に入浴はせず、時々体を拭くだけだったこと。フランス国王ですら生涯に数回しか風呂に入らなかったとされるが、彼らに自分が不潔だとの自覚はない。 なぜなら体は洗わないが、常に清潔な肌着を身につけること=清潔であると考えたから、一日何度も肌着は替える。清潔不潔の定義が全く違ったのだ。 しかも嗅覚とは不思議なもので、悪臭も嗅ぎ続ければ慣れていき、周りも臭けりゃ臭くない。だから日常生活に支障はきたさないのだ。ただそれを地獄と感じたのが、オーストリアから嫁いできたマリー=アントワネット。 母国では入浴の習慣があり、耐えきれずにベルサイユ宮殿でもひとり薔薇の花びらを浮かべる贅沢入浴を日課にしたと言う。処刑前、幽閉されたタンプル塔にもバスタブを持ち込んだとか。ただ自分だけ清潔でもそれはそれで地獄だと思うが。 いずれにせよ化粧やカツラ、香水がパリで発展したのも、貴族の汚れた肌や髪を覆い、悪臭を隠すためだったのだ。
「厚い垢が肌を守る」というトンデモ医学も
こうした入浴悪の考え方は、厚い垢が肌を守り毛穴を塞ぐことが悪疫を防ぐと言う“医者の推奨”が後押ししたわけだが、そんなトンデモ医学が否定されるのが19世紀。 皮膚も呼吸し、毛穴を塞ぐことが健康に反するとの真逆の事実が医学的に証明され、だから入浴は悪ではない、さあお風呂に入りましょうと今更のように提案されるのだが、悲しいかな人間は長年の習慣を簡単には変えられない。まずそういう環境にない上に、風呂のイメージがあまりに悪かったためだろう。 入浴習慣が始まるまでだいぶ時間がかかるのだが、皮肉にもその重要性を教えたのはユダヤ人。そもそもキリスト教が入浴を禁じたのも、体の穢れを問題視するユダヤ教への反発からで、伝統的に入浴習慣を持つユダヤ人が感染症にかからないのを見て、ようやく納得。 でも歴史上ここまで常識がひっくり返ることってあっただろうか。不潔が正しく清潔が悪、その間違いが正されるまで長い長い時間がかかったのは、信仰や風評が時にとてつもない被害をもたらす人間社会の怖さを象徴している。 【BATH GOODS】 ◆シャリテローズ バスペタル タイディローズ 香り風呂を流行させたマリー=アントワネット気分を味わえる入浴料。花びらが湯に溶けると泡風呂に。 齋藤 薫 (さいとう かおる) 女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストに。女性誌で多数のエッセイ連載を持つほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。CREAには1989年の創刊以来、常に寄稿している
齋藤 薫