【失敗からの逆転劇】H3ロケット「こういう日が来るから」 “打ち上げ成功”まで…技術者たちの2516日 <NNNセレクション>
■最悪の事態から“53分後”
2023年3月7日、鹿児島の種子島宇宙センターで、技術者たちは最悪の事態を目の当たりにした。「ロケットはミッションを達成する見込みがないとの判断から、指令破壊信号を送信しました」と告げるアナウンス―――。 だが、失敗から53分後に緊急対策会議が開催され、“世界に負けてなるものか”と、技術者たちの不屈の挑戦は続いた。
■刻まれた3000のメッセージ
その年の11月、プロジェクトの責任者であるJAXAの岡田匡史さんにも笑顔が戻っていた。ひとつひとつ、つぶしていった不安や課題―――。 JAXA・岡田プロジェクトマネジャー 「ここまで仕上がりましたね、LE-9」 「どうしても難しいところが、1つ2つ残っているけれども、そこさえ片付ければ世界に誇れるエンジンになってるな。頑張りましょう」 ロケット先端にある、衛星を守るカバー・フェアリングには「RTF」という文字が記されていた。「Return To Flight」―――。 その文字の中には、“小がた人工えいせいをうちゅうへ!”“がんばれ!がんばれ!がんばれっ!”といった、全国のファンが寄せた3000ものメッセージが記されていた。 2024年2月、機体は発射台へ向かった。 JAXA・岡田プロジェクトマネジャー 「やっぱり1回失敗してしまっているので、今度は何も起こらないでほしいな」 「“やり尽くしたんだから”という思いです」
■失敗からの復活劇 「よっしゃー!」
そして翌日。打ち上げ当日の2月17日。カウントダウンが刻まれるなか、技術者たちは食い入るようにロケットを見つめていた。 岡田さんの「よっしゃ」という声と共に打ち上げられたロケット。今回の大きな目的はふたつ。前回着火しなかった2段エンジンを計画通りに着火・燃焼させること、そして停止させることだ。 「メインエンジン燃焼開始」というアナウンス。続いて「第2段エンジン第1回燃焼停止」と響くと、行方を見守っていた技術者たちは歓喜に包まれた。抱き合う技術者たち。失敗からの、復活劇だった。
■「こういう日が来るから大丈夫だよ」って
「LE-9」を設計した前田剛典さん。着火試験のとき赤ちゃんだった七海ちゃんは 5 歳になっていた。 打ち上げ時の強烈な振動をおさえる部品「PSD」を設計した柴田晶羽さんは、「失敗した時にすごいつらかったんですよね。だから、失敗して次の日の朝に、駅のホームでどうしても電車に乗れなくて」と振り返った。 柴田さん 「このまま実家に帰って会社をやめちゃいたいなと思ったんですけど…」 「その日の自分に“こういう日が来るから大丈夫だよ”って伝えたいですね」 今年3月、次のH3ロケット3号機の機体が公開された。宇宙開発の未来のために―――。ここからが、世界との勝負となる。