国語の教科書に掲載された「帰り道」を収録 森絵都が描く、すべての人の心にしみるショートストーリー(レビュー)
直木賞作家・森絵都さんの短編集『あしたのことば』(新潮社)が刊行された。 小学校の国語の教科書に掲載された「帰り道」や亡き祖母に思いをはせる「遠いまたたき」、転校先で新たな一歩を踏み出す「あしたのことば」など、言葉をテーマにした9つの物語を収録した本作の読みどころとは? ロックバンド「チャットモンチー」のドラマー兼作詞担当を経て、現在作家・詩人・作詞家として数多くの作品を手掛けている高橋久美子さんによる書評を紹介する。
高橋久美子・評「明日の言葉が生まれるとき」
拝読しながら、私達の胸の奥には、声に出す前の、“思い”という言葉の卵がいっぱい詰まっていることを思い出した。物語に登場してくる子どもたちは、まだ器用に言葉を使いこなすことはできないけれど、だからこそ、言葉を司る真心をもっている。それは時に、どんなに多くのボキャブラリーよりも大切だ。大人になって言葉が上手くなったかと思えば、逆に“思い”が置き去りということが増えた気もする。言葉の前にはまず思いがあり、そのもっと奥には真心があること。それを伝えるために言葉はあるということを再確認できた、とても幸せな読書でした。もう一度、真っ直ぐな眼差しで言葉と向き合ってみたいと思った。 もう二十年も前の話になるけれど、私は教育大学に通っていて、小学校や中学校、幼稚園へも教育実習に行っていた。読みながら、そのときのクラスを思い出していた。この本に登場する周也や、祥ちゃんのように、心に浮かび上がったことを片っ端から声に出す子もいれば、律や瑠雨ちゃんのように、思いをたくさん持っているけれど言葉にできない子、言葉よりも手が先に出てしまう子もいた。ちょっとした言葉の行き違いで毎日のように起こるトラブル。もやもやした気持ちをそれぞれが言語化し会話する難しさ。ああ、なんて言葉は面倒なのと思っていたら、翌日にはケロッとした顔でドッジボールしていたりして、驚くこともしばしばだった。私が、毎日の授業に手一杯で、子どもたちの言葉の卵に気づく余裕がなかったというのもあるけれど、自分たちの中で折り合いをつけていたことも多かったのだろう。 森さんの描かれた物語の多くも、教師や親が問題に介入せず、子どもたちが心の内でそれぞれに葛藤しつつ解決に向かう。いや、解決しない物語が多いことに深く頷いた。〈「馬が合わへん」ちゅう名前をもろて、なんや、すうっと胸が軽なった〉という水穂の納得の仕方には拍手したし、それを教えたミーヤンに私もハグしたい。人生にはそれでええこともいっぱいある。美里のお母さんが言うように「ほんとに言葉ってこわい」。「でも、新しい言葉で、上書きすることはできるかもしれないよ」の一言に救われる。少なくとも、前進するために言葉があると信じたい。 本書に収録されている物語は、どれも会話が軸になっている。会話のキャッチボールが下手だと言われた周也は、〈いい球って、どんなのだろう。考えたとたんに、舌が止まった〉と喋れなくなる。私もハッとする。相手の話を受け止めて返すことを、私はいつからできるようになったかな。でも、いい球を返すことばかり気にして本音を言えないこともある。言葉の前には心がある。相手の心もある。2つの心が満たされながらキャッチボールを続けるって実は容易いことではない。だからこそ顔を合わせている今が大切だし、一緒に笑うだけで解決されることもあるのだろう。「あしたのことば」では、転校生の裕は、旧友たちからの応援のラインを次第に〈山のむこうでピューピュー吹いてる風みたい〉と感じるようになる。馴染めなかったクラスメイトと大笑いしながらドロケイをしたあとの「またあした、遊ぼうや!」の一言で〈地面をける足に力がこもって、あしたから、はりきれるかも……って気がしてきた〉。子どもってすごいな。私は、あの日のドッジボールを思い出す。言葉よりも先に体感があって、その中で自然に言葉が湧き上がっていくのだな。 体感の一方で、全文が美里から富田さんへのメール文で構成された「富田さんへのメール」はとてもリアリティがあった。今の子達にとってはテキストコミュニケーションの方が本音を語れる場かもしれない。時に不安視されたりもするメールやラインだが、そういった新しい会話でこそ伝えられる思いもあると思うし、子どもの方がずっと敏感に使い分けているのではないだろうか。 思いを伝え合う方法は言葉だけではないという物語もある。「こりす物語」の〈おなじふうにものを見られない相手と、おなじふうに心を通わせあうのは、なかなか、かんたんではありません〉の一文に、本当にそうだなと思った。伝えたくて、こりすが絵画を描き続けたように、言語には置き換わらない思いもある。通り雨に笑い合っただけで和解できた周也と律には、言語を超えて共鳴しあえる感覚がある。中でも、ターちゃんの歌が〈ずっと外側で生きてきた〉瑠雨の心を開放させる「風と雨」が印象的だった。私は、音楽にも携わってきたので、音で会話する現場もよく見てきたし、自分自身もそうしていたのを思い出した。長く音楽を続けている先輩のなかには、普段言語による会話はなくても、一度音を出すと見事な会話が始まるようなバンドもいた。音楽をはじめ、言葉以外の言語で結ばれる関係もある。その、言語以外による共鳴を、森さんは見事に言語で書き表していらっしゃることに深く感動しました。やっぱり、言葉にしかできないことがあるぞ、諦めずに書こう、会話しよう、伝えよう、そう思いました。 この本が、多くの子どもたちに届きますように。きっとたくさんの発見や救いになるのではないでしょうか。それから、大人になって胸の奥に卵を溜め込むことが増えた私たちにも。もう一度言葉を信じて卵を割ってみよう、そう思わせてくれる、明日のための言葉が詰まっていました。 [レビュアー]高橋久美子(作家/詩人/作詞家) たかはし・くみこ 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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