ドナルド・トランプを形作った恐るべき父親、フレッド・トランプとは何者なのか?
『The Art of the Deal』(日本版タイトル:『トランプ自伝―不動産王にビジネスを学ぶ』、早川書房(1988年)、筑摩書房(2008年))出版記念パーティーに出席したドナルド・トランプとフレッド・トランプ。(1987年12月12日、ニューヨーク) 【写真】「彼とは“ある体位”だけの関係」トランプ元大統領と不倫疑惑の“ポルノ女優”とは? ドナルドの姪であるメアリー・トランプによると、祖父フレッド・トランプは家庭を戦いの場とみなし、勝者は1人、その他は負け犬という考えの持ち主だった。そして勝者になる気満々の青年ドナルドは父親のお気に入りとなり、事業後継者の地位を手に入れた。そのことからしても、どれだけ父親の影響力が強かったかがわかる。抜け目ない事業家のフレッドは妥協を許さず、「勝者」ドナルドは、「負け」という言葉を自分の辞書から抹殺した。
家父長制度
ドナルド・トランプは1946年、5人きょうだいの第4子に生まれた。母メアリー・アン・マクラウドはスコットランド生まれで、結婚前はニューヨークの裕福な家庭で乳母をしていた。父フレデリックことフレッド・トランプは、20世紀初頭にクイーンズに定住したドイツ系アメリカ人で、裕福な実業家だった。フレッドは1936年に結婚し、母親が創業したファミリービジネス、「エリザベス・トランプ・アンド・サン」の剛腕経営者として、クイーンズ、ブルックリン、ニューヨークの郊外に中流階級向けの住宅を精力的に建設した。それは非常に儲かるビジネスで、儲けの一部は息子ドナルドの名義にした。結果として8歳にしてドナルドはすでに大金持ちだった。 家庭では誰も父親に逆らわなかった。フレッド・トランプは子どもを威圧するオーラを放ち、話し相手と認めるのは息子たちだけだった。長年「ニューヨーク・タイムズ」紙の調査ジャーナリストだったデビッド・ケイ・ジョンストンはトランプ家の環境を次のように描写した。「ドナルドは本当にひどい環境で育ちました。父親のフレッドはとんでもなく冷淡で意地が悪い一方で、非常に勤勉でした。怠け者のドナルドとは真逆です。フレッドはしょっちゅう、子どもたちを怒鳴りつけていました。どうして儲けがでないんだ?あの事業、この事業の元がなぜ取れていない?と」 オーストラリアのTV局の取材を受けたメアリー・トランプは「祖父は結局、家庭内で唯一発言権がありました。絶対的な権力者だったのです。それは徹底的な家父長制度で男尊女卑思想が強く、女性であることはそれだけでマイナス要因でした」と言うと、「祖父には血筋を大事にする側面もありました。本人はそうとは言わなかったでしょうが、祖父が築き上げた不動産帝国があり、自分と同名の長男、つまり私の父(ドナルドの兄のフレッド)がおり、彼が後継者となれば帝国が永遠に続くと感じていたのではないでしょうか」と続けた。メアリー・トランプに言わせると、祖父は平気で弱者いじめをして人を意のままに動かすことを好む「マニピュレーター」だったそうだ。