ドナルド・トランプを形作った恐るべき父親、フレッド・トランプとは何者なのか?
金と名声と権力
仏「フィガロ」紙のポッドキャスト『Scandales(原題)』でジャーナリストのデビッド・ケイ・ジョンストンは次のエピゾードを語っている。「トランプ家の近くに住んでいたジョニー・メッサーに聞いた、子ども時代の思い出です。ある日、ジョニーがトランプ家の前を自転車で通り過ぎ、25セント硬貨をポケットから落としました。ちょうどそのとき、フレッド・トランプがキャディラックで帰宅してきたのです。フレッドは車を停めると、お金を拾いに戻ったジョニーよりも先に急いでコインを拾い、ジョニーに見せびらかしながらこう発言しました。『もう俺のもんだ』と。たかだか6歳とか8歳の子どもにそんなことをする人間がいるなんて。それがフレッド・トランプなんです」 フレッドの子どもたちはそんな父の行動に影響を受けた。とりわけドナルドは姪のメアリーいわく、逆境にあって「敵対的な無関心と攻撃的な無礼さ」を身につけたようだ。やんちゃすぎたドナルドは13歳の時に父親の手で陸軍幼年学校へ送られる。「父親から拒絶され、ヒエラルキーが支配する規律正しい環境に放り込まれたことで、人生は厳しい、常に戦いだ、どんな分野でも勝たなければならないことを学んだのでしょう」とジャーナリストで『TheTruth About Donald Trump(原題)』を執筆したマイケル・ダントニオは、公共放送サービスPBSの取材に語っている。陸軍幼年学校でドナルド・トランプは期待に応え、戦争マシーンと化す。 だが本人は自著『The Art of the Deal』(日本版タイトル:『トランプ自伝―不動産王にビジネスを学ぶ』、早川書房(1988年)、筑摩書房(2008年))で父親に威圧されたことは一度もないと書いている。「堂々と父と渡り合い、それを評価されていた」と主張している。2000年に出版されたグウェンダ・ブレアの伝記本『The Trumps(原題)』は、親密な父子関係ではなかったことを指摘している。一緒に話をしていても相手の話を聞かず、ライバルのような関係なのに協力しあっていた。ニューヨークのフォーダム大学に入学、その後フィラデルフィアのペンシルバニア大学に転校した大学生のドナルドは毎週金曜日にクイーンズの自宅に戻り、父親と顔を合わせた。「当初からドナルドが狙っていたのは家業を掌握し、事業を発展させて金と名声と権力を手に入れることでした。そして最終的にその目標を達成したのです」とジャーナリストのマイケル・ダントニオはPBSに語っている。 1968年、フレッド・トランプは息子がベトナム戦争へ行かずに済むように手を打った。知り合いの医者に頼み、ドナルドのかかとの骨に発達異常があると診断させたのだ。そのお礼にフレッド・トランプはその専門医に自社ビル内の仕事を依頼したそうだ。1971年、ドナルド・トランプは家業を受け継ぎ、現在の「トランプ・オーガニゼーション」に社名変更した。1999年に父親が亡くなると、彼は巨額の遺産を手にした。2018年のニューヨーク・タイムズ紙の調査によると4億1300万ドルが懐に入ったらしい。ドナルドの第二の父親的存在であり、影響を及ぼしたコワモテの元弁護士、ロイ・コーンは当時すでに亡くなっていた。
text: Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)