J2東京ヴェルディ復活へ、永井秀樹・新監督が発揮している異能な才能
両チームともに無得点で折り返した静かな前半から一転して、後半だけでゴールネットが揺れること実に6度。そのうち4ゴールがアディショナルタイムを含めた後半40分以降に次々と決まり、決まれば再逆転となるPKを鹿児島ユナイテッドFCが外した直後に試合が終わった。 2点のビハインドをわずか7分間のうちにはね返して逆転する猛攻を見せ、直後にまさかの同点とされる悔しさを味わわされ、最後はホッと胸をなで下ろす。劇的な展開の末に分け合った勝ち点1を、J2の東京ヴェルディを率いてわずか5戦目の永井秀樹監督(48)は努めてポジティブに受け止めた。 「いろいろな評価があると思いますが、最後の時間帯でようやく崩しができて、ゴールも取れた。自分のサッカーを始めて3週間くらいですけど、本当に選手たちはよくやってくれていると思う」 今シーズンから指揮を執っていたイギリス人のギャリー・ジョン・ホワイト監督(45)が、成績不振に伴って先月17日に電撃的に退任。バトンを託されたのが、Jクラブの監督を務めるのに必要な公認S級ライセンスを同11日に取得したばかりの、トップチームでのコーチ経験もない永井氏だった。 J1から地域リーグまで4つのカテゴリーで延べ12チームを渡り歩くなど、実に四半世紀におよんだ現役生活にピリオドを打ったのが2016シーズン。現役引退後は東京ヴェルディユースの監督を務めていた永井氏にとって、トップチームの監督就任は青天の霹靂だったのか。
ヴェルディを運営する、東京ヴェルディ株式会社の羽生英之代表取締役社長(55)は「いつかは(トップチームの監督を)任せたいと思っていたので」と、クラブ内で描かれていた青写真を、不測の事態に直面した状況で前倒しにしたと舞台裏を明かす。 「S級ライセンスを取得しにいくときから『何があるかわからないから、言われたときにすぐにできるような心構えをしておいてほしい』とずっと伝えていたので。ホワイト監督があまり上手くいかず、いろいろなことを考えたなかで、ここは思い切ってチャレンジさせよう、と」 永井氏は1992年に国士舘大学を中退して、カズやラモス瑠偉ら、スター選手がきら星のごとく集まっていたヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に加入。切れ味鋭いドリブルを武器とする攻撃的MFとして活躍し、愛着深いヴェルディには合計5度、通算で11シーズン所属した。 最後をヴェルディで終えたことを、永井氏はいまでも「誇りに思う」と口にする。現役時代はスーパーサブとしての起用が多かったが、古巣のユースで第一歩を踏み出した指導者としてもすぐに異能な才能を発揮し始める。羽生社長が目を細める。 「サッカーを本当によく勉強しているし、ユースでもすごくいいトレーニングをしていた。個人戦術としても、そしてチーム戦術としても選手たちが着実に成長していることが、シーズンが深まるにつれてよくわかる指導をしていた。だからいい選手が昇格してくるし、彼らをすぐに(J2の舞台で)起用することができる。永井監督の指導がよかったからに他なりません」 たとえば昨シーズンに昇格したMF藤本寛也(20)はルーキーイヤーで25試合に出場し、今年5月にポーランドで開催されたFIFA・U-20ワールドカップの舞台にも立った。今シーズンから昇格した2人、MF森田晃樹(19)と現役高校生のMF山本理仁(17)もすでに数多くの試合に絡んでいる。