文科省にダメ出し、残業代出ない「給特法」条件付き財務省案の見落とし 財務省案vs.文科省案、双方に問題がある理由
財務省案の大きな見落とし、文科省の反論も問題あり
とはいえ、財務省案について手放しでは歓迎できない部分もある。1つは処遇改善、給与について、もう1つは教員の多忙や負担の前提についての捉え方だ。 まずは処遇について。財務省の指摘の(4)(5)について、教職調整額を上げても、毎年1%ずつとするという案でよいかどうかは疑問だ。というのも、今年の骨太の方針にも調整額を10%以上に引き上げるなど、教員の処遇を抜本的に改善することは明記されていたのに、10%にするにも、まだあと6年以上もかかるとなれば、不十分かつ遅すぎはしないか。 確かに、財務省が批判するように、教員の給与アップのために、莫大な国家予算(ならびに自治体負担)がかかるのに、文科省は財源案(≒スクラップ案)を示さないし、将来世代に借金を増やし続けてよいのかというのは、うなずける。また、これまで文科省(文部省時代を含めて)が教職調整額は固定残業代ではないと答弁してきており、じゃあ、調整額とはなんなのかということをあいまいにしてきたツケは大きいと思う。 そうした問題は解消していく必要があるが、今回中教審で重視したのは、「高度専門職」にふさわしい処遇として、今の4%の調整額では微々たる処遇であり、せめて10%以上にしましょうという話だった。 言い換えると、ぜひ学校の先生になってほしいと思えるような人材は、民間やほかの公務員でも雇いたい人材であることも多く、競争が激しい。金だけの問題ではないとはいえ(もちろん仕事の量ややりがい、職場環境なども大事だが)、給与水準も職業選択のときには重要でしょ、という話だ。 実際、先進国の多くは教員の給与水準を引き上げてきたにもかかわらず、これまで日本政府の動きは緩慢だった。国際比較の分析にあたったOECDシュライヒャー局長は、「日本では、少なくとも同様の資格を持った人が就くほかの職業と比べ、教員の給与はまったく魅力的になっていない」と指摘している(教育新聞2023年9月15日「日本の教員給与『競争力ない』 小中高ともOECD平均を下回る」)。 今の高校生や大学生には「学校の先生って、仕事は忙しくて、時にはクレームなんかも受けて大変な割には、給料は低くて、報われてないよね。ほんと子ども好きで頑張れる人だったらできる職業かもしれないけど」というイメージが広がっている※。これを転換していくのに、あと5年も6年もかけている場合ではない。 学校にだけ優秀な人材を寄こせなどと申し上げたいわけではないが、将来のすべての産業の人材の質にもかかわるのが、学校教育の場だ。