「被災地との温度差、苦しかった」…福島から四国に避難をした私が感じたこと 東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(3)
犠牲者が200人を超えた能登半島地震は、なお多くの住民が厳しい避難生活を続ける。3月11日で発生13年になる東日本大震災の経験者たちに当時を振り返ってもらうと、当時の教訓や心のこもった能登へのエールを聞くことができた。(共同通信=東日本大震災取材班) 【写真】「いったん家に戻ります」とっさにうそをついた 自主避難の男性、今も罪悪感
▽一番苦しんだのは「被災地との温度差」 広域避難者を支援するNPO法人「えひめ311」(松山市)の事務局長沢上幸子さん(48) 2011年3月、東京電力福島第1原発事故で福島県双葉町から夫と私、2人の子どもの4人で松山市の実家に避難した時、一番苦しんだのは被災地との温度差でした。松山の人がいつも通りの生活を送るのは当然なのですが、当時はスーパーで幸せそうに買い物をしている人を見て「笑っている場合か」とイライラしていました。 物やお金がないことより、この街には理解してくれる人が誰もいないのではと感じたことの方がつらくて、夫に思いを打ち明けることで発散していました。能登半島地震でも石川県内外への2次避難で故郷を離れた人が2月9日時点で5千人以上いると聞きます。ストレスは口に出したり、日記に書いたりしてでも吐き出した方がいいです。 私はその後、一家で松山に住むことにし、避難者を支援する側に回りました。そこで見たのは、故郷から取り残された感覚になり避難したことを後悔する人や、見知らぬ街で孤立して支援を受けられず、生活再建が進まない人たちです。
2次避難は自身や家族の命を守るための決断で悪いことじゃありません。自分の判断を責めず、肯定してください。孤立しないためには、受け入れ自治体による住む家や物資などハード面だけでなく、戸別訪問など避難先の人とつながれるソフト面の支援も重要です。 これまで普通に生活していた多くの被災者は、自治体に頼ることに慣れていません。「これ以上の支援は申し訳ない」と、SOSを出すことをためらう人もいました。避難先の人と、困ったときに相談できる関係性を築くことが大切です。子育てや高齢者支援など地域にある支援団体やNPOと連携するのも有効です。 ▽個包装式の簡易トイレの充実を 山形県立河北病院院長で災害医療の専門家、森野一真さん(65) 東日本大震災の経験を伝えようと、2012年に発足した宮城県石巻市のNPO法人「災害医療ACT研究所」の理事長を務めています。避難所で被災者が不衛生なトイレを使わざるを得なかった反省から、能登半島地震の被災地を訪れ、災害用簡易トイレの設置を進めています。生活環境を整え、災害関連死を防ぐ狙いがあります。