「被災地との温度差、苦しかった」…福島から四国に避難をした私が感じたこと 東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(3)
建築資材レンタル会社「日本セイフティー」(東京)が開発した個包装式の簡易トイレの普及を進めています。凝固剤を入れて用を足すと、特殊なフィルムで自動的に密封されます。悪臭が発生せず、細菌も遮断され、感染症予防にも役立ちます。 災害時は断水や停電が問題になりますが、バッテリーで動き、水なしで使えるのも利点です。 震災当時、石巻市の病院に派遣され、医療調整を担いました。避難所のトイレは非常に汚く、トイレに行く回数を減らそうと、飲食を控える被災者が続出。脱水や過度なストレス状態により、エコノミークラス症候群や心筋梗塞、脳梗塞のリスクが高まってしまう。簡易トイレは一部の避難所で使われ、効果を実感しました。 能登半島地震の被災地のトイレ事情も悪いままだと感じています。費用面から備蓄をしていない施設がほとんどですが、清潔なトイレは災害時に欠かせないものです。事前の備えが必要です。 ▽仮設の見守り役は地域の「おばちゃん」 元宮城県南三陸町の福祉アドバイザー本間照雄さん(73)
東日本大震災で大きな被害に遭った宮城県南三陸町の「福祉アドバイザー」として、仮設住宅の入居者らを見守る仕組みをつくりました。担い手として力を発揮したのは、自らも被災した地域の「おばちゃん」たちでした。 住民100人以上を支援員として雇用し、仮設住宅に出向いて、入居者の安否確認や生活相談に当たってもらいました。孤独死やアルコール依存症を防ぐのが目的です。町外のみなし仮設で暮らす被災者を訪ねる支援員も、別に編成しました。 このほか、自ら仮設住宅で暮らしながら夜間や早朝の見守り活動をしてくれた高齢の人もいます。支援員には3日間の講座を受けてもらい、毎朝のミーティングで活動報告や意見交換を繰り返し、能力を高めました。 住民たちは地域の伝統や習慣、互いの人となりをよく知っていて、隣人のかすかな生活の変化も感じ取る力を持っています。最初は入居者から「もう来るな」ときつく当たられても、何度も訪ねるうちに「おまえの家だって誰かが亡くなっただろうに。ありがとうな」と心を開いてくれるようになりました。