95歳認知症の父が、老人ホームの生活で元気に。だが、5歳下の後輩の訃報を聞き、泣きながら名簿に×をつけ…
◆紅白歌合戦は自分の部屋で横になって観たいと言う父 ある日父が私に聞いた。 「ここで働いている人は、俺のことを名前で呼ぶんだ。どうしてだろう?」 「割と多い苗字だから、きっと入居者の中に同じ姓の方がいらっしゃって、区別するためだと思うよ」 父は腑に落ちないらしい。 「俺は違うと思う。ハンサムだから好かれているんじゃないかな? それで親しみを込めて言ってくれるのだと思う」 私は父の誤解に吹き出しそうになった。95歳でこんなふうに自惚れていられるなんて、かわいらしい。私は「そうかもしれないね」と答えておいた。 年末を迎える頃には、老人ホームのスタッフの方たちとすっかり打ち解けている父を見て、心底ほっとした。この1年を振り返ると、父の体調に一喜一憂する苦しい日々だったのを思い出す。 父の家に通って介護を続けていた私は、毎日クタクタになっていた。冬を無事に越したと思ったら、春から父は物が食べられなくなって急に痩せ始めた。 栄養補給の治療をしてくれる病院を探すのに奔走した時期は、本当に辛かった。自力歩行できることがネックになった。入院しても家に帰ろうとして転んでケガをするのではないかと懸念され、受け入れてくれる病院が見つからない。想定外の事態に直面した。 当時お世話になっていたケアマネージャーが、やっとのことで入院先を見つけてくれて、父は初夏から4ヵ月入院生活を送った。病院で治療を受けながら、筋力回復のリハビリを少しずつ続けるうちに、専門のスタッフがいる施設で暮らすのも悪くないと思うようになったようだった。 秋に老人ホームに入居した父に、大晦日は私の家でご飯を食べようと誘った。 北海道は、元旦よりも大晦日の食事を重視する独特の習慣がある。大晦日におせち料理を食べ始めたり、家族で鍋を囲んだり、テイクアウトのお寿司を食べる家も多い。私の実家もご多分に漏れずそうだったから、父は大晦日を私と過ごすことを喜んでくれているように見えた。 「元旦のお雑煮も食べてもらいたいから、外泊届を出しておこうか?」 そう訊ねると、しばらく考えてから父は返事をした。 「いや、自分の部屋で寝たい。ベッドで横になって紅白歌合戦を観る方が楽だ」 父にとって、ホームの居室が居心地のいい「自分の部屋」になっていることが、私にはとてもうれしかった。
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