なぜバドミントン日本代表は強くなったのか? 成果上げた朴柱奉ヘッドコーチの20年と新時代
見えない壁を越えた北京、ロンドン、リオの成果
朴の指導の下、最初に結果を出したのは、2006年のアジア大会で銅メダル、2007年の世界選手権でも銅メダルを獲得した女子ダブルスのオグシオペアだった。期待と注目が集まった北京五輪では、小椋のケガなどもあり準々決勝敗退に終わったが、末綱聡子/前田美順の“スエマエ”ペアがベスト4進出を果たす。 「自分たちでもメダルに手が届くかも」 NTCのネットを挟んで共に練習する選手やペアが結果を出したことで、それまで日本の選手のストッパーになっていた心理的障壁、世界との見えない壁が壊れた。 2012年ロンドン五輪では藤井瑞希/垣岩令佳の“フジガキ”ペアが銀メダル、2016年リオデジャネイロ五輪では高橋礼華/松友美佐紀の“タカマツ”ペアがついに金メダルを獲得する。 女子ダブルスだけでなく、男子シングルスで後に世界ランキング1位に輝く桃田賢斗、女子シングルスの奥原希望、山口茜ら、代表ファースト定着後に見出され合宿で鍛えられた選手たちが世界トップクラスの成果を挙げた。 2014年には男子の国別対抗戦、各種競技のワールドカップに当たるトマス杯で初優勝を遂げる。女子のユーバー杯でも準優勝と、2006年の同大会から変化と進化を続けた日本代表は、バドミントン強国の仲間入りを果たすことになった。
コロナ禍で奪われた“最大の武器”
長期にわたって結果を残し、継続していた朴体制だったが、集大成となるはずだった東京五輪ではエース桃田が2回戦敗退、奥原、山口もベスト8、男女ダブルスに出場した4組もすべてベスト8で敗退。混合ダブルスの渡辺勇大/東野有紗“ワタガシ”ペアが唯一のメダルとなる銅メダルを獲得するに留まった。 桃田の複雑なキャリアについてはここでは言及しないが、東京での不振はコロナ禍によって代表合宿が大幅に制限されたことと無関係ではない。当時はNTCの利用にもさまざまな制約があり、思うような練習ができないどころか、日本代表選手が集まることさえままならない状態があった。 加えて、国際大会のカレンダーが大幅に狂う中、日本代表はオリンピック直前に行われた伝統の全英オープンで、奥原が金、男子ダブルスでは遠藤大由/渡辺勇大ペアが金、園田啓悟/嘉村健士ペアが銀、女子ダブルスでは永原和可那/松本麻佑の“ナガマツ”ペアが金、福島由紀/廣田彩花の“フクヒロ”ペアが銀、志田千陽/松山奈未の“シダマツ”ペアが銅メダル、さらに混合ダブルスでも“ワタガシ”ペアが金、金子祐樹/松友美佐紀ペアが銀と、圧倒的な強さを見せた。 この結果で地元開催のオリンピックへの期待はさらに高まることになったが、実は東京五輪前の国際大会には、“打倒日本”を掲げた中国、韓国勢が不在だった。エントリーを控え、国内で長期合宿を張り、オリンピックにピークを合わせる戦略を取った両国に、日本は期せずして分析用データを提供していたとも言える。 コロナ禍で世界ランキングが停止していたことも、日本選手の「見せかけのランキング」を押し上げ、世界との実力差を正確に測れないまま本番となったことも「まさか」の惨敗に反映された。