なぜバドミントン日本代表は強くなったのか? 成果上げた朴柱奉ヘッドコーチの20年と新時代
バドミントン日本代表の朴柱奉(パク・ジュボン)ヘッドコーチが、2024年12月末に任期を終える。2004年の就任から約20年間、日本をバドミントンの強豪国へと押し上げた功績は計り知れない。現役時代、ダブルスの名選手として名を馳せ、母国である韓国、イングランド、マレーシアで指導者としての実績を積んだ朴ヘッドコーチに率いられたバドミントン日本代表はなぜ強くなったのか? 日本バドミントン界を変えた20年を振り返る。 (文=大塚一樹、写真=新華社/アフロ)
胸に刻まれた2006年5月3日の敗北
東京2020オリンピック以前に話を聞くことが多かったので、もしかしたら更新されているかもしれない。しかし、バドミントン日本代表の朴柱奉ヘッドコーチが「日本に来て一番悔しかった試合」として、昨日のことのように悔しさをにじませて語るのは決まって、2006年に日本で行われたトマス杯&ユーバー杯だった。 2006年、4月28日から5月7日まで日本の大型連休、ゴールデンウィークに合わせて行われた男女団体世界最強決定戦は、2004年に日本代表に就任した朴にとって、最初のマイルストーンでもあった。 男女とも仙台で行われた予選リーグを勝ち抜き、東京体育館に移動してのトーナメント初戦となる準々決勝、男子はインドネシアに、女子はオランダに敗れることになる。 「満員ですよ。東京体育館がバドミントンで満員というのは、日本ではそれまでになかったと聞きました。その満員のお客さんの期待に応えられなかった」 朴は、試合内容以前に日本選手のメンタリティーに一番のショックを受けたという。 「技術は当時から悪くなかったんです。特に女子はもっと上に行ける、行かなきゃいけないチームでした」 成長著しい小椋久美子/潮田玲子の“オグシオ”ペアを擁し、決勝進出を「最低限の目標」にしていた女子チームの敗戦は、選手たちにとっても誤算だった。しかし、「こんなはずじゃない」と憤りさえ感じていたのは、むしろ世界を知るコーチたちの方だった。 韓国代表としてバルセロナ五輪で男子ダブルスで金、アトランタではミックスダブルスで銀メダルを獲得している朴と、中国代表としてトマス杯優勝経験のある中島慶(中国名:丁其慶)女子ダブルスコーチには、地元の満員の声援を力にするどころか、そのプレッシャーに浮き足立ち、本来の実力を発揮できない選手たちのメンタリティーが理解できなかった。 「丁さん(中島コーチ)は、東京体育館のトイレから1時間出てこなかった。私もホテルに帰った後、食事もしないで寝ました。あれは日本に来てから一番ショックだったし、悔しい試合でした」 根本的なことを変えないとうまくいかない。変えられればうまくいく。ある意味では、課題が明らかになり、何をすべきかが明確になった。本格的な改革が始まったのはトマス杯&ユーバー杯の敗戦年の負け方、選手のメンタリティを目の当たりにしたことだったと朴はことあるごとに話していた。