不登校の息子に「やったらあかんことをやってしまった」ワンオペ母の目が覚めた ”厳しい言葉”
「ナオキは私を苦しめるために生まれてきたんか」
冷静な判断が出来なかったのは、ミノリさん自身が追い詰められていたからだろう。せっかく食事を作っても、食べる日もあれば食べない日もあるナオキくん。お風呂に入る日もあれば、入らない日もある。一日中ずっとゲームをしている。そんな子どもの姿から目をそらし続ける夫。ミノリさんは孤独だった。 雨で夫を会社まで送って行った十数分の間、ハンドルを握りながら号泣した。 「この先いつまで続くんかわからへん。ナオキは私を苦しめるために生まれてきたんか」 夫は黙って聞いていた。泣いても、家に戻れば子どもはいる。ミノリさんは「自分の思いだけで良かれと思ってやってはいけないことをやってしまう。自分のルールを変えないかん」と考えた。それまでの人生を振り返った。思えば、進学、就職、結婚と人生の節目で親に従ってきた。進学先の候補を挙げたら「そこはあかん。遠い」と言われた。就職先も「その仕事は不規則やからあかん」。 「あかんといわれたら、それが普通やと思ってしまった。親の言うとおり進めば、それはそれで別に幸せな人生を送ってたように思えたし、親やから心配するのは当たり前っていうか。親心や、ぐらいに受け止めてました」 しかし、そうしてきたことで、自分は何かを獲得し損ねてきたのではないか。そしてそのやり方は、少なくとも目の前で学校に行けずに苦しんでいる子どもにはそぐわない。そのことをミノリさんは理解した。
母と息子の変化
「子どもを育てる云々じゃない。自分の課題やったんや。今は私が勉強する時間なんやと思いました」 母の思考の転換は、じわじわと成果となって子どもに現れた。 地域の公立中学校へ。担任にも恵まれ良い関係を築けた。すると、3年になったら「ギターをやりたい」と言い始めた。週1回エレキギターを習い始めた。担任から「通信制高校っていうのがあるよ」と教えてもらった。そちらに入学。通信制なのに部活動があり、ギターが弾ける軽音楽部に入った。スクーリングは多いときで週4回あるが、休まず通っている。 高校1年の文化祭でギターを弾いた。ミノリさんは池添さんに電話で報告した。「学校行けるようになりました。ギターも弾いてます」と告げたら、池添さんは「ほんまに? 嬉しいわあ」と涙を流さんばかりに喜んでくれた。 ミノリさんは言う。 「不登校って、ゆっくり、ゆっくり。じわじわなんです。ほんまに。急に飛び跳ねるようにポンと外に出なくって。ほんまに階段一つひとつ。三歩歩いて二歩下がるみたいな。でも、確実に一歩ずつは進む。私も成長するまで8年かかったってことですよね。でも、前には進めるんやっていうことがわかりました。ほんま、池添先生には感謝しかない。私を怒ってくれてありがとうございましたって言いたいです」
島沢 優子(ジャーナリスト)