“地元で何かしたい人”が大勢いないと、生活圏内は面白くならない。だから僕はこの場所をつくった。徳島県脇町の「うだつ上がる」
できることなら地元に居たい、戻りたい。そう思っている若い人たちは意外に多いのだと、改めて気付かされる。でも地元にはできることが何もないと思っている。 「じゃあまず、自分たちで何か始めてみては」という高橋さんの気持が20代の女性たちにも伝わった。6人は本業の傍ら、古本市の準備を進めていく。 「古本市に来てくれたお客さんには、本だけじゃなくてこの町も楽しんでほしいから、お客さんの目線でみなでまちを見てみようと歩いてみたり。1回目のときは出店してくれる人がいるかもわからなかったので、最悪自分たちで出店すればいいよねと話して。でも結果的に全部出店枠が埋まったんです」(谷さん)
古本市の準備で、まち歩きをした際の様子。
初回の開催から第3回にかけて、古本市の規模はどんどん大きくなっていった。第3回目の出店数はうだつ上がるに10組、オデオン座に15組。この成功は、谷さんたちの自信につながったに違いない。都会でなくても、これほど本や人が集まる素敵なイベントができる。徳島でもできる、自分たちで実現できたと。
第3回の古本市の様子。大勢の出店者とお客さんでにぎわった。
うだつ上がるは、「何か面白いことの生まれる場所」「いろんな若い人たちが集まってくる場所」として、認識され始めている。
「巻き込み力」の源
高橋さんは不思議な人だ。独特の関西弁で周りを笑わせながら、知らず知らずみなの背中を押している。高橋さんなくして、今のうだつ上がるはないし、うだつに惹き寄せられて徳島に戻った若い人たちもいないだろう。 大阪の生まれ育ちで、中学生までは芸人になりたかったという。その後、成り行きのような形で建築への道を歩み始める。建築の勉強は嫌いだったが「学校は楽しくて仕方なくて、無遅刻・無欠勤・無早退やった」と胸を張って言う。
人と関わるのがとことん好きなのだと思う。そしてその楽しい気持を全身全霊で表してくれるので、関わる人は嬉しくなるし、何かあれば高橋さんに声をかけたくなる。 最初はそれほど好きではなかった建築も、「自然と共生型」の建築との出会いをきっかけに、のめりこんだ。大阪から徳島へやってきたのも、徳島で活動していた建築家の元で修行しようと決めたからだった。 その人の元で9年間修行した後に独立してからは阿波市に暮らし、設計事務所を開業。イベント企画の仕事なども手がけるようになる。阿波市の地産の食材の美味しさをアピールするために「100人BBQ」を企画したときには、世代を超えて150人以上が集まった。現在は美馬市に店兼事務所を構えて、住宅や店舗など建築の仕事を手がけながら、うだつ上がるを運営している。 高橋さんと話す中ではっとした瞬間があった。 「小さいころから、自分と関わった人はみんな幸せになるべきやって思い込んでるところがあって。せめて僕とおるときは、みんな笑顔にしたい。常に笑かしたい。相手が笑えば自分も一緒に笑うしな。自分一人で笑ってんなってよく言われますが(笑)」 高橋さんの巻き込み力は、そこからくるのかもしれないと思った。
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