猪子寿之が語る「崇高さ」とは何か? サウジアラビアに誕生した「チームラボボーダレス ジッダ」オープンを機にインタビュー
文脈を超越した「認識の革命」を起こしたい
――「ボーダレス(境界がない)」という世界観は普遍的であるいっぽうで、チームラボの作品には日本のアニミズムや自然観を感じさせるものや、日本の美術から引用したモチーフが登場します。こうした作品を、中東のイスラーム文化圏で展示するにあたり、何か調整は必要でしたか? どうだろう。そこまでなかったように思います。 これはチームラボの始まりにつながる小さい頃の原体験ですが……、森を体験するっていうことは、自分が見ている動的な景色の中に私がいる、ということだと思います。僕たちは風で葉っぱが揺れたり、花びらが飛ぶ動的な世界を、立ち止まることなく自分の身体を通して体験する。でも人間がいままで作ってきたものは、結果として、身体性を失ったり、他者を排除したりしている。 簡単な例で言うと、写真や映像はレンズを通して撮るけれど、レンズの論理構造上、撮った世界には必ず境界面が出現する。さらに撮るときの視点は固定されるので無自覚に身体性を失ってしまう。テレビの前ではソファーに座るし、映画館でも椅子に座る。つまり森の中で歩きながら動いているものを見る時のような身体性を失っている。 でも僕は3次元空間のなかで境界面を生じさせず、視点を固定せず、視野の包括の広い作品を作りたかったんです。境界面がないがゆえに、自分と見ている世界が連続して、身体的に一体化するような空間美術が生まれる。2001年頃、初期のチームラボがやりたかったことで、いまのベースにもなっています。この試みによって目指すのは、認識の革命です。だから、表面的なモチーフはそこまで重要ではありません。 ――「何が」表れているかではなくて、「どう」現れているか、なんですね。 はい。たとえば「Light Sculpture」シリーズでは「渦をなぜ渦という存在として感じるのか」という問いから始まりました。僕は徳島県出身で、毎日海の渦を眺めていて、そこに人間を模した彫刻よりも生命感を感じていた。不思議なことに渦もその周りも物質的には同じ水なのに、そこに渦は存在しているんですよね。 本来自然界にあるものは全部連続し、関係しあっている。渦の中心部分は構成要素の秩序レベルが極めて高く、外側にいくにつれて秩序が弱まる。その差によって存在が生まれる。この作品は、別に渦のかたちをなぞって作っているわけではなく、こうした秩序の状態を光で生み出しているんです。 人間が作ってきたものは、物質の違いを利用しているから、境界面があまりに明確だし、他のものと関係し合わない。普通の彫刻には境界面があるけど、この光の彫刻には境界面がありません。だから鑑賞者は中に入ることができるし、人間の姿形をなぞった彫刻よりも不思議と生命感を感じます。 こうした「見たことのないもの」「体験したことないこと」は、作品のモチーフや文化的文脈を超越して、人間の認識を広げる革命を起こすと思います。