私が2年前にTwitterをやめた理由。メンタルが整って仕事に集中できるようになった
Twitterは、私の生活で重要な位置を占めていました。10年ほどのあいだ、私にとってはメインの「オンラインのたまり場」だったのです。 Twitterで知り合った友人とは、いまも毎日のようにやりとりを交わしています。のちにエディターとなる人に出会ったことで、キャリアを築くこともできました。 世界各地のインターネットオタクたちとの連帯感を覚えることができたのもTwitter。いまの私があるのは、Twitterが大いに関係しているのです。 それなのに、もう2年間というもの、Twitterを利用していません。 2022年に静かにTwitterをやめたのです。いまでも投稿はしていますが、実際には記事を書いたときに、そのリンクが事前設定した文章付きで投稿されるよう、自動化しているだけです。 チャットサービス統合アプリ「Beeper」も設定してあるため、DM(ダイレクトメッセージ)はいまも届きます。ログインしなくても送ってくれるので、Beeperはオススメです。 しかしそれを除けば、Twitterはもう完全にやめました。 スクロールすることも、リプライすることも、広告を目にすることもありません。いずれは、Beeperや、自動化していた設定が機能しなくなる日が来るでしょう。 そうなったときには、Twitterのアカウントを削除するつもりです。 この記事を読んでいて、まだTwitterを使っているという人は、私のようにTwitterをやめようと考えながらも、どういうわけか踏み切れずにいるからなのでしょう。 そこで、私がTwitterをやめる前に考えていたことをお話したいと思います。 私の話が、みなさんの決断に役立つかもしれません。また、Twitterをやめたあとに私が見つけたコミュニティについても、紹介していきます。
Twitterはすでに死んだ
Twitterはさまざまな意味で、多くの人にとって大切な役割を果たしていました。 でも、かなりの人がもう使っていません。オレゴン州ポートランドではつい最近、「XOXO」が開催されました。 XOXOは「インターネットはどんなことがあっても世の中のためになり得る」と信じる理想主義者たちが集まるイベントです。 その会場には、今は亡きTwitterを嘆き悲しむ雰囲気が肌で感じられるほど漂っていました。 それは当然でしょう。 Twitterは、人々が集い、ジョークを飛ばし、何かを作り上げ、ときには問題を解決することもできるウェブサイトでした。 そこでは、優れたプロジェクトが数限りなく生まれ、友情が芽生え、きわめて重要なアクティビズムが始まりました。 とはいえ、どれも遠い昔の話です。 実際には、Twitterはずいぶん前から、ほとんどの人にとって、良いことより悪いことのほうが多くなってしまいました。イーロン・マスク氏に買収されるよりずっと前からです。 私はなにも、かつてのTwitterを美化するためにこの記事を書いているわけではありません。実を言うと、Twitterとそれに伴うコミュニティは、前々からつねに問題を抱えていました。 しかし、ある時点を境に、Twitterのマイナス面がプラス面を上回ってしまいました。 それが起こった正確な時期は、人によってさまざまですが、私に言わせればTwitterが変わり始めたのは2014年ごろだったと思います。 女性嫌悪的なオンラインハラスメント「ゲーマーゲート集団嫌がらせ事件」を知らないのであれば、それは幸いです。 知る必要もないので気にしないでください。しかし私は、その嫌がらせ事件をきっかけに人間には善意があると思えなくなってしまいました。 ネット上でバズることは、喜ぶべきことから罰へと変わり、全般的に見て楽しさが薄れてしまったのです。 それに楽しくなければ、ソーシャルネットワークを利用し続けるべき理由などありませんよね。 変化が必要になる正確な時期は、人によってまちまちかもしれません。たくさんの要因があるからです。 けれども、スクロールするときには、せめて次のようなことを自問自答してみてください。 それをしていて楽しいですか? ためになっていますか? それとも、全体的に不愉快に思っていることが多いですか?