【40代・50代におすすめ】リサ・ラーソンと日本の強い絆。それは“ものづくり”を愛する人々が育んだものだった
勝木 こちらのギャラリー「のこぎり」は2年前に立ち上げましたが、日本ではリサ・ラーソンの展覧会は美術館でたくさん行ってきましたし、現在も巡回しているので、ここでは他の作家の個展ばかりをやっていたんです。リサもいつかと思っていましたが、もう少し先かなと。それが昨年末に急遽「リサ・ラーソンの366日の日めくりカレンダー」を出すことになり、せっかくだから日めくりカレンダーを元に個展をやろうと考え、リサ・ラーソンの「ゆめのきおく展」を開催しました。
勝木 リサとは今年に入ってからも来年の干支シリーズの相談など、オンラインで顔を合わせていましたし、春には会いに行く予定でしたが、展覧会の会期中に、リサが亡くなったという訃報が届いて…。それを知って、たくさんのお客様がギャラリーに足を運んでくださいました。 リサの作品とご自身の思い出を話してくださる方が多く、中には涙ながらに語ってくださる方も。今まで私たちの目線でリサ・ラーソンという人物をご紹介する機会がなかったので、17年間一緒にものづくりをしてきた立場から、リサってこういう人だったんだよっていうのを皆さんにお伝えできたらと、追悼展「私のリサ・ラーソン」を開催することにしました。 展覧会タイトルにある「私」というのは、リサと一緒にものづくりをしてきた、デザイナーの佐々木美香や、私、勝木の意味もありますし、ファンの皆さんそれぞれの「私」という意味も込めています。
会場は、リサさんがおしゃれに着こなしていたという柔道着の展示から始まり、初めてリサさんに会った日の動画も流れていました。意外だったのは、もともとはリサさんと一緒にものづくりをしたくて、コンタクトをとったわけではないということ。 勝木 当時、私と佐々木は、トイカメラの企画、デザインと販売、さらにそのカメラを使って撮影した写真集の出版を手がける会社に勤めていました。長年リサ・ラーソンのファンだった佐々木が、自社製品のおもちゃのような小さなカメラで写真を撮ってもらえませんか?と手紙を書いたことがきっかけでした。 リサは「陶芸家の私に写真の依頼なんて!」と、最初は驚いていましたが、快く引き受けてくれました。結局、その写真集が出版されることはなかったのですが、それがきっかけで交流は続き、しばらくして、会社のアイコン的存在だったハリネズミを、リサに陶器でつくってもらおう!と言ってと頼んだのが、ものづくりの始まりでした。 当時のリサは、スウェーデンでも回顧展をやっているくらいで、新作はほとんど作っていませんでした。私たちがハリネズミの制作をお願いしたら、すぐに「やるわ!」と言ってくれて、あっという間に、サンプルを20個くらい作ってくれたんです。これは会いに行かなくては!と、2人で初めてスウェーデンを訪れました。