三井物産サラリーマンから落語家へ転身 立川志の春の仕事論 「落語はビジネスに役立つのか?」にアンチな理由とは
落語には「与太郎」という人物がいます。役立たずだったり、愚かだったり、空気を読まなかったりする、職場にいたら厄介な人物です。 でも、与太郎がふいに本質的なことを口にすることがあるんですね。同じようなことは会社にいる煙たい人にもあるんじゃないかと思います。 それに、「この人は与太郎みたいだな」と思えば、相手に対する見方も変わります。ただ「嫌なやつだな」「うっとうしいな」と思うより、「どこかに良いところがあるかもな」と思えたほうがポジティブですよね。 私は会社員時代、ちょっとでも合わないと思ったら、その人にはあまり近寄らないようにしていたところがありました。 でも落語的な発想でいえば、そういう人にこそ面白いものが潜んでいるかもしれない。今の私ならそんな期待を持って、むしろ近寄ろうとするでしょうね。
落語は300年以上語り継がれてきた失敗談
そもそも落語自体、300年以上語り継がれてきた失敗談の集積です。 人間には「自慢したい」という欲求があり、どうしてもそっちに引きずられがちですが、それはやぼだという考え方が落語にはあります。 サクセスストーリーを自慢ではないかたちで面白く話すのは、非常に難しいことでもある。片や、喜怒哀楽のうち「怒」と「哀」は笑いにできます。 だから「こんなことにムカついた」「めちゃくちゃつらかった」は笑い話にできるのであり、落語にはそういう要素が詰め込まれています。 そして重要なのは、笑いになる失敗には一生懸命さが必要だということです。
努力せずに失敗した話はそれほど笑いにはなりません。本人なりに頑張って努力しているけれど、努力の方向性がズレていて、それゆえに失敗しちゃったというのが面白い。 落語の登場人物たちの失敗もまた、多くは「努力の方向はそっちじゃねえんだよ」というものです。 自分に置き換えても、「一生懸命やったのに」と思うから、ダメだった時に落ち込むじゃないですか。何も努力せずに失敗したって「そりゃそうだよな」と思うだけ。 そうやって一生懸命やった結果うまくいかなかったとしても、「そういう失敗が一番面白いんだよな」と思ったら、ちょっと救われるところがあるんじゃないでしょうか。 もしかしたらその失敗は、300年語り継がれる失敗談かもしれないですしね。