三井物産サラリーマンから落語家へ転身 立川志の春の仕事論 「落語はビジネスに役立つのか?」にアンチな理由とは
落語の聴き方は人によって違うのであり、リアクションに正解なんてあるわけがない。 それなのに「ビジネスに役立てよう」と思って落語を聴くことは、落語に対する正解・不正解を自分の中に作ることになりかねないと私は思います。 ただでさえ、大人は「ここで笑っていいのかな?」という躊躇が生じやすい傾向にあり、純粋に落語を楽しむのは難しくなるように思います。 落語を聴いて笑うのは、「私は面白いと思っています」という自己表現でもありますから、周りが笑っていない場面で声を出して笑うには、自分への自信のようなものが必要なのかなと。 落語会や講演会後の質疑応答で1人目の手がなかなか挙がらないのも同じ理由ではないでしょうか。「この質問、頭良さそうに聞こえるでしょう?」みたいな、他人の目を気にした質問も目立つように思います。 そういう意味で、落語家にとって非常に良いお客さんは小学4年生です。笑うことに照れがなく、ストーリーをきちんと把握しながら一番ビビッドに反応してくれる。 質疑応答でも、「君たちがハテナと思ったことは全部正解だから、何でも聞いてね」と伝えるとボンボン手が挙がります。心からの疑問をそのまま聞いてくれるから、非常に良いコミュニケーションになるんですね。 そう考えると、落語を素直に楽しむことは、「自分をよく見せたい」という虚栄心を脱するちょっとしたきっかけにもなるんじゃないかなと思います。
だからこそ、まずはエンターテインメントとして純粋に落語を楽しんでほしいですね。 結果として落語がビジネスに役立つことは大いにあるでしょうけど、そのベクトルが逆になってしまってはもったいないということです。
面倒なポンコツ社員、実はスターかもしれない
私が初めて落語に触れたのは、新卒で三井物産に入って2年目のこと。 「立川志の輔独演会」の幟(のぼり)をたまたま目にし、一緒にいた当時の彼女で現在の妻から「入ってみようよ」と言われたのが、落語と出会ったきっかけでした。 そこで「こんな面白いものがあったのか!」と衝撃を受けて以来、落語会に通い倒す日々が始まります。 結局、落語家になることを決めて会社を辞めるまでの約1年間、お客さん先でもほとんど落語の話しかしませんでした。完全なポンコツ社員ですね。 ただね、自分を擁護するわけではないですけど、今振り返ってみると、そういうポンコツな人って実は落語の登場人物に多いんですよ。 飲み会でも、なんだかんだでそういう人の話題がメインになっていること、多くないですか? 周りから嫌われたり、面倒くさがられていたりする人って、ある意味魅力的なんです。 人格者で仕事がバリバリできて、しかもモテる。そんな人について話したところで、「あの人すごいよね」で終わり。 一方、「あいつ、この間こんなムカつくこと言ってたんだよ」という話は、まぁ盛り上がります。要するに、面倒な人はスターなんです。