深圳・男児刺殺事件と「日付」のタブー――日本人が気付いていない現代中国の歴史感覚
むしろ特殊な現代日本人の「過去への認識」
近年の極端な動きは、すでに述べたように現代中国の社会問題に根ざすところが大きい。だが、中国人が歴史にこだわりがちな理由それ自体がはらむ内在的な論理については、中国共産党の政治的扇動とは別の問題として知っておく必要がある。そもそも歴史に対する距離感は、東アジアのなかで近年の日本人(日本本土の日本人)がむしろかなり特殊だからだ。 戦後の、とりわけ親族関係が希薄化した今世紀以降の日本人の場合、自分たちの3~4世代前の祖先はかなり遠い存在だ。ゆえに現代の日本人の大多数は、大戦中の加害の自覚はもちろん、東京大空襲や原爆投下、大戦末期のソ連軍による住民虐殺や暴行などの被害者意識もすでに非常に薄い。 現代日本人になんらかの被害者意識があるとすれば、せいぜい今世紀に入ってからの中国や韓国の反日運動に対するもの(あとは氷河期世代による日本国家への恨みなど? )くらいだろう。感情の矛先は「個人が実際に経験した過去」よりも古い時代にはほとんど届かない。 いっぽう、中国──。のみならず、韓国・台湾にせよ沖縄にせよ、父系の血族集団(中華圏の場合は宗族)の考えが社会に色濃く残る他の東アジアの世界は、過去への認識が現代日本人とは異なる。 たとえば中国の宗族の場合、実際はフィクションであるにせよ、周王朝の時代や伝説上の君主である三皇五帝の時代までさかのぼった祖先のルーツを現在まで伝える例も多い。もちろん、現代的な若い世代になるほどルーツを意識する傾向は薄れるのだが、それでも「祖先は清代後期まで浙江省にいたらしい」程度の一族の知識を持っている人は決してすくなくない。 やや極端な例を挙げれば、私はむかし広東省東部の農村で、村同士で戦争(械闘)をおこなっている双方の当事者に話を聞いてみたことがある。両村はそれぞれ唐の李世民の子孫を名乗る村と蜀漢の劉備の子孫を名乗る村だった。彼らの前回の「戦争」は約100年前の清朝末期の宣統年間におこなわれ、以来ずっと仲が悪く、2013年になって再度の開戦に及んでいた。 こうした時間感覚を持つ人たちの社会において、1世紀にも満たない過去はかなり「最近」だ。中国国家が対日歴史問題を強調するキャンペーンをおこなうか否かとは関係なく、日中戦争で被害を受けた当事者の記憶は、すくなくとも日本と比べればはるかに濃厚に継承されている。当然、会ったことのない祖先や一族の誰かの被害を想像して悼む感情も日本人よりも強い。 もちろん、だからといって近年の中国の「愛国暴走」を容認したり、日本が外交面でことさら弱腰になったりする必要はない。ただ、そもそも歴史に対する時間軸の認識が、現代日本人の場合は短すぎるため、近隣の他の文化圏の感覚が理解しづらいことは知っておいてもいいだろう。 私が今月に刊行した『中国ぎらいのための中国史』は、諸葛孔明・元寇・孔子・アヘン戦争……、といった日本人なら義務教育段階で耳にする中国史の事件や人物が、中国でどうとらえられて活用されているかを読み解く「現代中国の本」だ。日本人が中国の歴史感覚を知るうえで、一助になれば嬉しい。 ◎安田峰俊(やすだ・みねとし) 中国ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員 1982年生まれ。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第5回城山三郎賞と第50回大宅壮一ノンフィクション賞、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)が第5回及川眠子賞をそれぞれ受賞。他に最新刊『中国ぎらいのための中国史 』(PHP新書)はじめ、『恐竜大陸 中国』 (監修・田中康平、角川新書)、『戦狼中国の対日工作』(文春新書)、『北関東「移民」アンダーグラウンド ベトナム人不法滞在者たちの青春と犯罪』(文藝春秋)、『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)、『八九六四 完全版』(角川新書)、『みんなのユニバーサル文章術』(星海社新書)などの著書がある。
中国ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員 安田峰俊